作曲家、この一曲(マ行~ヤ行)

2009/06/27

モンテヴェルディ かくも甘い苦悩が 

ルネサンス期から初期バロック時代にかけての、最大の作曲家といわれているクラウディオ・モンテヴェルディ(1567~1643)の音楽は、生前より高い人気を誇るとともに、『オルフェオ』や『アリアンナ』をはじめ18曲にも及ぶ歌劇は、この分野における最初期の作品として、後世の作曲家に多大な影響を与えた。

Monteverdi

イタリアのクレモナに生まれた彼は、幼少期から大聖堂の聖歌隊員になり、その楽長であったインジェニェーリのもとで学んだ。その後、マントヴァ公国ゴンツァーガ家の歌手及びガンバ奏者として仕え、1602年には楽長に就任、1613年には、ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂の楽長に迎えられた。

彼はオペラの他に、膨大な数のマドリガル(世俗歌曲)集を作曲したが、今回ご紹介する『かくも甘い苦悩が(Si dolce d'l tormento)※1』は、その中でも最も知られた作品で、1624年に刊行された『ミラヌッツィの優美なアリオーソ 第4巻』に含まれている。
※1 日本語では、『苦しみが甘美なものなら』とも訳される。

スケールを上から降りてきては、上昇する単純なメロディー。その繰り返しの中で、恋の苦悩と喜びの間を揺れ動く男の心情を、絶妙に表している名曲だと思う。

次に、歌詞の一部を示す。

かくも甘い苦悩を胸に秘めて 
私は幸せ むごくも美しい人のため
でも美の天国でひどくなる 君の横暴 冷たい君
私の真心は 高慢の波に洗われる岩
(以下、続く)
竹内ふみ子 訳

フランス人カウンター・テノール歌手であるフィリップ・ジャルスキーと、クリスティーナ・プルハル率いる新進気鋭のバロック・アンサンブル「ラルペッジャータ」による、心に染み入るかのような演奏で聴いてみたい。

演奏時間はおよそ4分

【お薦め盤】
フィリップ・ジャルスキー(CT)、ラルペッジャータ(ヴァージン)

Monteverdi_cd


【追記】
youtubeに彼らの演奏がアップされています。ぜひぜひ、ご覧ください。

2009/05/02

マルティヌー ニッポナリ

ボフスラフ・マルティヌー(1890~1959)は、20世紀前半に活躍したチェコの代表的な作曲家のひとりである。

Martinu

ボヘミアの靴職人の家に生まれ、幼少期からヴァイオリン演奏に顕著な才能を発揮した彼は、周囲に将来を嘱望されプラハ音楽院に籍を置くが、1910年、学業怠慢のため退学させられてしまう。やがて地元に戻った彼は、教職の道を歩みつつ、作曲を手がけるようになる。

1919年には、チェコスロヴァキア共和国の独立を祝して作曲した大編成の合唱と管弦楽によるカンタータ『チェコ狂詩曲(H118)』がチェコフィルにより初演され、スメタナ賞を受賞し注目を浴びる。

やがてフランス音楽に傾倒するようになり、1923年にパリに留学しルーセルに師事するとともに、フランス6人組やストラヴィンスキーなどと交流を深めるが、ナチスドイツがヨーロッパ各地に勢力を拡大してくると、それを避けてアメリカに移住し作曲に専念する。

彼は、生涯にあらゆる分野で膨大な作品を残していて、特にアメリカ時代を中心に、民族性豊かで叙情的な傑作を数多くの作曲しているが、今回取り上げるのは、彼が故郷で教鞭をとっていた1912年、22歳の若書きであるソプラノと小編成のオーケストラのための歌曲集『ニッポナリ(H68)』である。

この作品は、ドイツ語から更にチェコ語へ訳された日本の和歌集(17首)からマルティヌーが抜粋した7曲からなる歌曲で、表題の「ニッポナリ」は「日本也」に由来している。

若きマルティヌーが心惹かれ、インスパイアされたであろう日本の和歌として、額田王や小野小町、静御前など大和時代から鎌倉前期までの作品が取り上げられているが、曲調はまったく日本的ではなく、むしろドビュッシーなどフランス印象主義のような、繊細で美しい音楽が展開する。どの曲も瑞々しいメロディーに溢れていて、早熟の天才らしい名曲だと思う。

演奏時間はおよそ22分

現在、唯一の現役盤(輸入盤)が手に入る。ここでは併せて前述の『チェコ狂詩曲』も聴くことができる。

【お薦め盤】
ダグマー・ベツコーヴァ(Sop)、イルジー・ビエロフラーヴェク指揮、プラハ交響楽団(スプラフォン)

Martinucd

※なおマルティヌーは、「マルチヌー」と表記される場合もあります。

2008/11/29

吉松隆 ピアノ・フォリオ

吉松隆(よしまつ・たかし、1953~  )は、現代日本を代表する作曲家のひとりである。

Yoshimatsu

幼少期は科学者になることを夢見ていたが、やがて作曲家を志すようになり、慶應義塾大学工学部在学中に松村禎三に師事する。しかし同時に、ロックやジャズのグループに参加し活動する中で学んだことが、彼の作風に大きな影響を与えることになる。
1981年に発表された、弦楽合奏とピアノのための『朱鷺によせる哀歌(作品12)』で、一躍世に名を知られ、作曲家としての地位を確固たるものにした。

現在までに、5曲の交響曲をはじめ、サクソフォーンやチェロ、トロンボーンなどの協奏曲、室内楽曲、ピアノ曲など、数多くの優れた作品を世に問うてきていて、星や虹、鳥などをテーマに、ロックやポップスの要素を取り入れた明確な調性に基づいた作品づくりが特徴である。

今回ご紹介する『ピアノ・フォリオ』は、1997年に作曲された44小節からなるピアノのための小品で、『レグルス回路(作品7)』や、同時期に作曲された傑作『ピアノ協奏曲「メモ・フローラ」(作品67)』などと同様、シンプルでありながら、静寂の中から現れては消えてゆく幻想的な響きが、きわめて美しい。

この曲には、「消えたプレイアードによせて」という副題が付いているが、作曲者によると、ギリシャ神話の7人姉妹プレイアデスのうち、消えた1人(星)がいるという伝説に由来しているとのこと。

僕は、これまでに数多くの吉松作品をCDや演奏会で聴いているが、この『ピアノ・フォリオ』は最も愛聴する作品のひとつである。

なお、彼については、自身で開設しているホームページに詳しいので、そちらもぜひご覧いただきたい。

演奏時間はおよそ3分半

【お薦め盤】
河村泰子(カメラータ)

Yoshimatsucd1


【追記】
youtubeにいくつか音源が掲載されました。(2012年1月19日追記)

2008/08/16

尹伊桑 チェロ協奏曲

韓国を代表する作曲家である尹伊桑(ユン・イサン、1917~1995)は、日本の統治時代の朝鮮に生まれ、後年はドイツを中心に活躍した音楽家である。

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大阪でチェロを、その後東京で池内友次郎に対位法を学ぶ。その後、朝鮮の独立運動に関わり逮捕される。太平洋戦争後、プサンやソウルで教鞭を執るが、1956年からはパリ音楽院やベルリン高等音楽学校で学び、作曲家として活動を始める。

しかし、北朝鮮に入国したことにより、1967年、西ベルリンにおいてスパイ容疑でKCIA(大韓民国中央情報部)に逮捕、ソウルに強制送還され、厳しい拷問を受ける。このことにストラヴィンスキーやダラピッコラをはじめ多くの音楽家が抗議し、2年間の服役の後、釈放され西ドイツに帰化する。その後、二度と祖国の土を踏むことはなかった。

彼の音楽は、朝鮮の伝統音楽の要素を前衛的な技法の中に融合・昇華させるという独自の特徴を持ち、歌劇や交響曲、室内楽曲など数多くの作品を残している。よく知られている作品には、管弦楽のための『ムアク(舞踏幻想曲)』や光州事件の犠牲者を追悼するために作曲された『光州よ、永遠に』、無伴奏オーボエのための『ピリ』などがある。

今回取り上げる『チェロ協奏曲』は、フランス文化省の委嘱により、1975年から翌年にかけて作曲された彼の自伝的作品である。

この曲は牢獄での体験という、音楽以外の概念によって形づくられている。私の体験を表現するのにチェロは最適な楽器だった。生死を分かつ場面に直面した体験を、頭の中でどう処理すればよいのかということを、この曲の中で詳細に描写したつもりだ。(尹伊桑)

曲は急緩急の3つの楽章からなるが、それぞれが休みなく演奏される。独奏チェロは彼自身を、オーケストラは彼を取り巻く環境を表現している。両者はさまざまな形で「闘争」を繰り広げるが、最後は、作曲者が「私にとって絶対的な純潔、絶対的に保障された自由」と呼んだA音に収斂(しゅうれん)し、終結を迎える。

演奏時間は約30分

【お薦め盤】
ジークフリート・パルム(Vc)、ハンス・ツェンダー指揮、ベルリン放送交響楽団(カメラータ)

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2008/06/21

ミャスコフスキー 交響詩『沈黙』

ロシアの作曲家ニコライ・ミャスコフスキー(1881~1950)は、ソ連時代の1921年以降、終生にわたりモスクワ音楽院の教授を務め、ハチャトゥリアンやシチェドリンをはじめとした多くの作曲家を育てた教育者として知られる。

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彼は、幼少のころから音楽の才能を認められていたが、父親の跡を継いで軍人になるために陸軍工科学校に入学し、卒業後、25歳からペテルブルク音楽院で、リャードフやリムスキー=コルサコフに作曲を学んだ。
その時、同窓生であったプロコフィエフと親交を結び、その交友は生涯にわたって続いた。

ソ連時代は、ソビエト作曲家同盟に所属し、かつての実験的な作風から、社会主義リアリズムに即した穏健な作風に転じたといわれる。しかし、27曲にも及ぶ交響曲を残したことから分かるとおり、生涯にわたり作曲意欲旺盛で、その内容も優れていることから、近年、再評価が著しい。

この『交響詩「沈黙」ヘ短調(作品9)』は、ペテルブルク音楽院を卒業後、1909年から翌年にかけて作曲された初期の作品で、エドガー・アラン・ポーの同名の散文詩に基づいている。

スクリャービンの影響が顕著な作品で、冒頭から、暗く陰鬱な音楽が連綿と続き、曲の後半にクライマックスを迎えるが、やがて元の静かな世界に戻ってゆく。時折、弦によって奏されるメランコリックな旋律が何とも魅力的で、忘れがたい印象を残す。

作曲者は、帝政末期のロシアの世情を、曲に重ね合わせたのであろうか。

演奏時間は約22分

【お薦め盤】
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮、ロシア国立交響楽団(ワーナークラシックス)

Myaskovskycd


【追記】
youtubeに演奏が掲載されています。

2007/12/15

マルタン 弦楽合奏のためのエチュード 

スイスの作曲家フランク・マルタン(1890~1974)は、若いころにはフランス近代の音楽に傾倒したが、やがてストラヴィンスキーやシェーンベルクなどの技法を昇華させ、独自のリリシズムを持った音楽を築き上げた。

Martin

チューリッヒやローマ、パリで学んだ後、1926年にジュネーブ室内楽協会を設立し、母国の音楽家の育成に取り組んでいたが、第2次世界大戦後はオランダに移住し、作曲に専念するようになる。歌劇や交響曲、声楽作品など数多くの作品を残しているが、特に「バラード」と名づけられた独自の協奏的作品がよく知られている。

今回取り上げる『弦楽合奏のためのエチュード』は、バーゼル室内管弦楽団の創設者であるパウル・ザッハーの依頼により、1956年に作曲・初演された全5曲からなる作品である。

序曲と4つのエチュードで構成され、各エチュードは、その名のとおり弦楽合奏の技術を高める(披露する)ための目的を持っている。12音技法を取り入れながらも、メロディーや形式が明確な新古典主義的曲調が特徴で親しみやすく、例えば第3曲アレグロ・モデラートは、ジャズのエッセンスを感じさせるピチカート奏法による軽妙さが心地よい。

全曲を通じて、弦楽器の持つ運動性や清廉で豊かな表現力を楽しめる名曲である。

演奏時間は約21分

【お薦め盤】
マティアス・バーメルト指揮、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(シャンドス)

Martincd


【追記】
ようやくyoutubeにも音源が掲載されました。(2011年5月加筆)

2007/08/26

モーラン ヴァイオリン協奏曲

アイルランド系イギリス人のアーネスト・ジョン・モーラン(1894~1950)は、同時代に生きたディーリアスやヴォーン・ウイリアムズなどと同様に、イギリスの自然を音で描いた田園詩人とも呼ぶべき作曲家である。

Moeran

幼少期から独学でヴァイオリンとピアノを学び、1913年に王立音楽学校へ進学しスタンフォードに師事した。しかし、第一次世界大戦に従軍の折、頭部に重傷を負ったことが、後年、精神疾患を煩う遠因となる。

1920年、王立音楽学校に復学し、卒業後も同校で教鞭をとりながら、出身地であるノーフォーク州を含むイギリス各地の民謡の蒐集や編曲に努めたが、後年はアイルランドへ渡り、作曲活動に専念するが、55歳になった1951年、嵐の中出かけた桟橋から転落し、遺体となって発見される。

今回取り上げる『ヴァイオリン協奏曲』は、1938年、彼の最高傑作として名高い『交響曲ト短調』に引き続いて作曲され、1942年にBBCプロムスで初演された、彼の代表作のひとつである。

通常の協奏曲の形式に従い3つの楽章からなるが、前記の交響曲の悲劇的でモノクロームな曲調とは異なり、独奏ヴァイオリンとオーケストラが、穏やかで色彩豊かな音楽を奏でる。特に第2楽章「ロンド」はケルト音楽の影響が顕著である。

なお、彼に関しては、アンドリュー・ローズ氏による素晴らしいホームページ(英語)が存在するので、ぜひご覧いただきたい。

演奏時間は約33分

【お薦め盤】
リディア・モルドコヴィッチ(Vn)、ヴァーノン・ハンドリー指揮、アルスター管弦楽団(シャンドス)

Moerancd

2006/08/13

マスネ 管弦楽組曲第7番「アルザスの風景」

『タイスの瞑想曲』で有名なジュール・エミール・フレデリック・マスネ(1842~1912)は、近代フランスを代表する作曲家のひとりであり、彼の作品は生前、主にオペラを中心として大変好評を博した。

Massenet

1878年から、パリ国立高等音楽院の教授となり、ピエルネやシャルパンティエ、アーンなど優れた人材を育てたが、フランクやダンディを中心とした国民音楽協会からは保守派のレッテルを貼られ、鋭い批判の的ともなっていた。

代表作は、『マノン』や『ル=シッド』、『ウェルテル』などのオペラのほかに、管弦楽曲やピアノ曲、歌曲など幅広い分野で数多くの作品を残しているが、ワーグナーの影響を受けつつも、フランスの洒脱さが適度にブレンドされ、非常に聴きやすい音楽が特徴となっている。

彼は管弦楽作品にも力を注いでいて(交響曲が残されていないのは残念だが・・・)、その中核を成すのは7曲の『管弦楽組曲』である。今回取り上げる『管弦楽組曲第7番』は、1881年に作曲された最後の作品で、最も人気の高い作品である。「アルザスの風景」という表題を持つが、マスネが普仏戦争に従軍した際にアルザスに駐留した経験や小説家アルフォンス・ドーデの『月曜物語』からインスピレーションを得たことに由来する。

全体は次の4つの曲で構成される。

第1曲「日曜の朝」
冒頭よりフルートとクラリネットを中心に、日曜日の静かですがすがしい朝の情景が描かれる。曲の半ばにさしかかると教会から流れ聞こえる賛美歌「目覚めよと呼ぶ声あり」が奏でられ、弦楽器などが加わり盛り上がりをみせるが、やがて最初の静寂の中に消えてゆく。

第2曲「酒場で」
田舎の酒場における喧騒を描いた曲。ティンパニのリズムに導かれ、突如、全楽器によるフォルティッシモで荒々しいワルツ主題が奏される。中間部では狩のファンファーレを表す4本のホルンが、オーケストラと掛け合いを演じる。後半ワルツ主題が戻ってくる時の転調(変ホ長調→ト長調)は、ハッとするほど効果的だ。

第3曲「菩提樹の下で」
夏の午後、村はずれの菩提樹の下で、愛を語り合う恋人たちを描く。冒頭、鐘が6時を打ち、ヴァイオリンの伴奏にのって、チェロ(男)とクラリネット(女)のソロが美しいデュエットを奏でる。

第4曲「日曜の夕方」
夕刻の広場の喧騒を表す。アルザス地方の民謡を用いた舞曲を中心に曲が展開する。途中、帰営ラッパの音が聞こえ、第2曲の酒場のワルツも加わり、圧倒的な盛り上がりの中、劇的に曲は閉じられる。

目の前に情景が浮かぶようなメロディーの数々、華麗なオーケストレーションなど、マスネの音楽の魅力が存分に味わえる名曲である。

演奏時間はおよそ23分

【お薦め盤】
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮、モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団(エラート)

Massenetcd

2006/07/16

ミヨー スカラムーシュ

第1次世界大戦後のフランスの音楽界で活躍したダリウス・ミヨー(1892~1974)は、あらゆる分野において、膨大な作品を残した稀に見る多作家として知られている。

Milhaud

パリ音楽院でヴァイオリンや作曲、指揮などを学ぶ中で、ドビュッシーやラヴェルに傾倒する。1917年から翌年にかけて、音楽院時代の友人であった詩人ポール・クローデルがブラジル大使へ赴任する際、外交官秘書として随行した。そこでブラジル音楽に魅了され、その影響の下にバレエ音楽『屋根の上の牛』などの名曲が生まれることになる。

帰国後は、オネゲルやプーランクらとともに、後に「フランス6人組」と呼ばれる作曲家集団をつくり、ロマン派や印象派の音楽とは異なる、即物的・新古典的な作品の創造に取り組んだ。

このころから彼は、映画音楽や劇音楽の作曲にも熱心に取り組み、今回ご紹介する2台のピアノのための組曲『スカラムーシュ(作品165b)』も、当時、人気女流ピアニストであったイダ・ヤンケレヴィッチとマルセル・メイエから、1937年のパリ万国博覧会で演奏するための作品を委嘱されたことを機に、つくられたものである。

当初、ミヨーはこの依頼に乗り気ではなく、モリエール原作による劇のための付随音楽『空とぶお医者さん(作品165a)』の旋律をつなぎ合わせただけのつもりだったらしい。しかし、思いもよらず好評を博すことになり、現在に至るまで、ミヨーの最もポピュラーな人気曲として、好んで演奏されている。

全部で3曲からなり、第1曲「ヴィフ(輝かしく、活発に)」は、冒頭から軽快なリズムに乗って華やかなメロディーを奏でる。主旋律が2台のピアノをめまぐるしく行き交うところが聴きどころ。続く第2曲「モデレ(中庸の速度で)」は、第1ピアノの旋律を第2ピアノが応答しながら穏やかに曲が進む。第3曲は「ブラジルの女」と題された陽気なフィナーレ。サンバの特徴的なリズムによるグルーヴ感が楽しい。

演奏時間は約9分

【お薦め盤】
カティア&マリエル・ラベック(フィリップス)

Milhaudcd_2


【追記】
何と、youtubeにアルゲリッチとキーシンによる「超名演」が掲載されています。(2011年3月加筆)

2005/05/14

メンデルスゾーン 序曲『フィンガルの洞窟』

フェリックス・メンデルスゾーン(1809~1847)の業績については、ここで詳細に述べるまでもないが、ドイツ・ロマン派初期の大作曲家であり、生前は指揮者やピアニストとしても活躍。とりわけ、J.S.バッハの『マタイ受難曲』の復活上演やシューベルトの『交響曲ハ長調』の初演を行うなど、音楽史においてもきわめて重要な役割を果たしたことで知られている。

Mendelssohn

彼のフルネームは、「ヤコプ・ルートヴィヒ・フェリックス・ メンデルスゾーン・バルトルディ」といい、ハンブルクの裕福な銀行家の息子として生まれた。幼少期から早熟の天才として知られ、16~7歳のときに作曲した『弦楽八重奏曲変ホ長調(作品20)』や『「真夏の夜の夢」序曲(作品21)』の完成度を聴けば、驚愕の才能のほどが実感できるだろう。

文豪ゲーテに認められ、ケルビーニやロッシーニ、フンメルら先達の知遇を得る一方で、ショパンやシューマンら同世代の作曲家らと交友を深めるなど、縦横無尽の活躍ぶりは有名で、1835年には、ライプチヒのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者に迎えられ、当楽団の発展の基礎を築いた。

1843年に、かねてより念願であった音楽院をライプチヒで開校し、盟友シューマンを教授に招聘。また、ヨーロッパ各地で演奏会を行うなど、活動がますます広がりつつあった彼は、1847年、イギリスに向かう船上で姉ファニーの死という悲報に接することになる。最大の理解者であり、心の支えでもあった姉の死は、彼にとって痛恨事であったと思われ、ショックのあまり精神に異常を来し、再び回復することなくこの世を去った。時に38歳の若さであった。

作曲家として、あらゆる分野で膨大な作品を残したが、かねてより管弦楽曲の傑作として名高いのが、1830年に作曲され、1832年にロンドンで初演された演奏会用序曲『フィンガルの洞窟(作品26)』である。

20歳の時のイギリス旅行の途中、スコットランドのヘブリディーズ諸島のスタファ島を訪れた彼は、フィンガルの洞窟の景色に強い感銘を受け、冒頭の主題を思い付き、姉への手紙にその旋律とともに感動を伝えたという。

曲は、導入部を持たないソナタ形式。ヴィオラ・チェロ・ファゴットで奏される第1主題は、下降を繰り返すモチーフが印象的で、まるでさざ波のようでもあり、神秘的な雰囲気を持ち合わしている。続く第2主題はチェロとファゴットによる憧れに満ちた歌謡主題で、曲はこの2つの主題、とりわけ第1主題のモチーフが重要な役割を果たす。ワーグナーの賞賛の声にあるとおり、まるで優れた絵画を見るような不滅の名曲である。

それにしても、以前はもっと頻繁に演奏されていたように思うが、最近は取り上げられる機会がめっきり減ったように感じるのは、僕の気のせいだろうか。

演奏時間はおよそ11分

【お薦め盤】
クラウディオ・アバド指揮、ロンドン交響楽団(グラモフォン)

Mendelssohncd


【追記】
youtubeに、洗足学園音楽大学の演奏が掲載されていました。なかなかの名演です。
※冒頭から30秒くらいまでは「音のみ」が続きますので、ご注意を!


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