コンサート鑑賞記

2014/07/21

インバル&都響のマーラー

長かった梅雨が明け、いよいよ夏本番がやってきた。

生来、汗かきで夏が苦手な僕にとっては、一年で最もつらい季節の到来である。例年、7月下旬から8月上旬にかけては灼熱地獄となるが、今年も何とか歯を食いしばって切り抜けたいと思う。

慌しい日常に、ゆっくりと音楽に向かう機会を失してしていたころ、7月後半にエリアフ・インバルが東京でマーラー『交響曲第10番嬰ヘ長調』(デリック・クック補完版)を指揮することを知った。

思えば、しばらく東京もご無沙汰だ。東京国立博物館では『台北 國立故宮博物院特別展』も開催中だし、国立新美術館では『オルセー美術館展』も始まっている。せっかくならコンサートも聴いてきたい…。そう思案をしていたところだったので、ここぞとばかり一念発起。遅きに失した感があったチケットも思いがけずよい席が取れ、万難を排して東京への遠征を決行することにした。

インバル&東京都交響楽団による新マーラー・ツィクルスは、一応これで終結とのこと。エクストン・レーベルにより演奏は順次CD化されていて評判も高い。僕にとって、クック補筆による『第10番』全曲版の演奏を生で聴くのは初めてで、いやが上にも期待は高まる。


7月21日(月・祝)の演奏会当日は、午前中、『オルセー美術館展』鑑賞のため国立新美術館を訪れ、途中昼食をとり、徒歩で会場へと向かった。だが、しばらくすると東西南北がわからなくなってしまった。何とか開場15分くらい前にはサントリーホール(東京都港区)に到着し、アークカラヤン広場の噴水前でしばし涼をとる。周囲を見回しながら、過去の演奏会でのことが思い出されて、しばし懐かしい気分に浸る。


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サントリーホールを訪れるのは、何年ぶりのことだろう。過去数回、演奏会を聴きに来ているはず。今や記憶も定かではないが、少なくとも10年以上は経過していて、リニューアル後、初めてなのは間違いない。ただ、僕のような地方遠征組にとっては、このホールは交通アクセスが悪い(公共交通機関の乗換えが面倒くさい)という印象があり、どうしても疎遠になりがちだ。


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やがて開場の合図の音楽が鳴り響き、ゆっくりとホールに入る。建物入り口では、レセプショニストのお姉さんたちがコンサートのチラシの束を配っていたが、荷物になるので僕は貰わない。

販売コーナーでは、新マーラー・チクルスなどインバルのCDが販売され、限定でサイン色紙がもらえるとのことだったが、すでにマーラーのCDは有り余るほど持っているので、物色はしたものの購入はためらった。もちろん今回の演奏会のCDが発売されたら買うことになるだろう。

ロビーでは、現在、桂冠指揮者でもあるインバルと都響との写真パネルの展示もされていて、このコンビが、いかに聴衆に愛されているかを、うかがい知ることができた。


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会場内は、ほぼ満席に近い状態。よく見ると、あちらこちらに空席も見られるが、実質、8割強は余裕で埋まっているのではないかと思われた。それにしても、さすがにサントリーホールのお客さん、それもマーラーのレア作品を聴きに来るだけあって、どことなくマニアックな雰囲気が漂う。総じてマナーも良く、いちいち余計なことに気を使う必要がない。僕としては、アウェイの会場に出かけて、コンサートに通い慣れしている人たちに混じって聴く方が圧倒的に好きで、気分も落ち着く。(同類ということか)

会場アナウンスで「曲が終わっても、指揮者が手を下ろしてから拍手をお願いします」のようなことを言っていたが、今日の演奏が録音&CD化されることも事情があるのだろう。ステージ上には、多数のマイクロフォンが設置されていた。

オケの入場、チューニングに続いて指揮者のインバルが登場。今回の演奏会への期待度を物語るかのように、割れんばかりの拍手となる。タクトが振り下ろされ、ヴィオラによるモノローグによる導入部が始まるが、その表情付けの深く緻密なこと…。荘厳かつ壮大な第1主題は、それこそ圧倒的な美しさとスケール感で展開してゆく。その見事さに、ただただ唖然と聞きほれるしかない。

都響の演奏は、まさに完璧といってよい。とりわけ第1楽章で有名なのは、後半のクライマックスに象徴的に登場するトランペットのA音(マーラーの妻アルマの頭文字に由来)。不協和音の中から浮かび上がるが、その音の揺ぎ無いこと! トランペットは後半の楽章でもきわめて重要な役割を果たすが、とにかく上手い。(パンフレットによると首席奏者の岡崎耕二氏)以前、同じコンビによるショスタコーヴィチの交響曲CDでも思ったのだが、いつの間に日本のオケは、こんなにレベルが向上したのだろうか。都響恐るべし。

第1楽章が終わると、静かだった会場の聴衆が一斉に咳(せき)をし始め、ざわつき出す。「えっ?みんな、そんなに我慢してたの?」と突っ込みたくなるくらい。

この『交響曲第10番』の完成版は5つの楽章からなり、第1楽章と終楽章がそれぞれ25分にも及ぶ規模を持ち、その間に、比較的小規模な3つのスケルツォ楽章が挟まれるという特異な形式を有している。第2楽章は躍動的なスケルツォで、若いころの『巨人』『復活』の作風に逆戻りしたかのような瑞々しい曲想。もし、マーラー自身が長生きして完成させていたら、もう一ひねりも二ひねりも、したことだろう。

第2楽章が終わると、指揮者は一旦ステージを退場。オケの再チューニングが終わっても、なかなか指揮者が登場しない。休憩と思ったのか席を離れようとしかお客さんがいたくらい。指揮者も少々お疲れなのだろうか、と余計なことを考えてしまう。

第3楽章以下は、アタッカで続けて演奏された。そのためか音楽の緊張が途切れず、演奏が進むにつれてオケや聴衆の集中度が高まり、会場全体の雰囲気が変化してくるのが体感できた。

第3、4楽章も第2楽章同様、良くいえば素直、反面、未完成ゆえに響きが薄いというか彫りが浅い作品だ。マーラーとしては、ひとまず最後まで「通し」で書き上げておいて、後日さらに筆を入れ、仕上げてゆくつもりだったのだろう。決して悪くはないのだが、晩年のマーラーの作風から考えると、もっと複雑な味わいを期待してしまうのは、やむを得ない。

そして始まる終楽章。マーラー夫妻が、ニューヨークで偶然遭遇したという葬儀を表現したとされる軍隊用の大太鼓による衝撃的な連打が鳴り響く中、チューバの下降してゆく音形が、怪しげな雰囲気を醸し出す。それは不気味というより、無機的な響きの世界。不安な感情に襲われる中、突如奏で始められるフルートのソロ。何という無垢で美しい瞬間だろう。そしてヴァイオリンの連綿と続くカンティレーナ!

曲の半ばでは、再び、あのA音が鳴り響き、第1楽章の冒頭の旋律がホルンにより再現されるが、これは当時、妻アルマの不貞に心を悩ませていたマーラーの苦悩を表現したものとされる。曲のクライマックスでは、前作『交響曲第9番』の終楽章を凌ぐほどの鮮烈なカンタービレが弦楽器群で奏される。その響きには、心の奥底に突き刺さるものがあり、思わず目頭が熱くなる。『大地の歌』や『交響曲第9番』の終楽章では、死への恐れや抵抗、諦念が描かれたが、ここではむしろ、全てをありのままに受け入れようとする「意思」が感じられる。


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僕は、あえて断言したい。マーラー『交響曲第10番』の最大のドラマは、冒頭のアダージョ楽章にあるのではない。この終楽章にこそあるのだ、と。補筆全曲版の最大の功労者クックをはじめ、過去、何人もの音楽家がマーラーが未完のまま残したこの作品を完成させようと努力してきた。彼らが、何としても成し遂げたかったのは、この感動的な終楽章の復元にあったのだ。たとえ中間の3つの楽章の出来に不満が残るとしても…。その思いを、改めて確信することができた素晴らしい演奏だった。

終楽章のコーダでは、マーラーの「最期の一念」とでもいうべき、ヴァイオリンのグリッサンドによる急激な上昇とゆるやかな下降…。バイオリン群が不揃いなボウイングを繰り返して駆け上がり、やがて穏やかな収束に向かう。

「さようなら、アルマ…」

マーラーの意識は空の彼方へと消え、そして永遠となる。

指揮棒が静かに振り下ろされ、訪れるしばしの静寂が素晴らしい。そして湧き上がるブラボーの声。拍手はいつ終わるともなく続いた。楽団員が退場しても拍手は鳴り止まず、2度もステージに現れ、興奮が冷めやらないファンに手を振る指揮者。これほど熱い「一般参賀」を見たのは初めてかもしれない。

これまでラトル、レヴァイン、シャイーなどのCD等で何度となく聴き返してきた作品だったが、生演奏から受ける感動は、ただ「衝撃的」というほかない。それもインバル&東京都交響楽団という、現在、望みうる世界最高の組み合わせによる渾身の名演なのだから、文句のつけようはずがない。とにかく僕にとって、深く心に刻まれる演奏会になった。約1時間半の演奏を聴き終えて、陶酔感と、心地よい疲労感に包まれながら会場を後にした。


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こうして無事、目的を達することができた今回の東京遠征。少々強行スケジュールではあったが、本当に思い切って決断してよかったと思っている。

もし仮に、聴きに行かなかったとしても、後悔はなかっただろう。その場合、今回の一連の出来事は、そもそも自分の中では存在しなかったことになるのだから…。 しかし、このような素晴らしい経験をすることもなく(たとえそれが失望に終わったとしても)、日常が過ぎていってしまうことの方が、僕にとっては、ある意味「恐怖」だ。

いよいよ人生の折り返し点を迎え、残りの時を数えながら考えをめぐらすことが多くなってきた。思えばこれまで「次の機会がある」「別に今じゃなくても」と、自分に言い訳をしながら、限りある時間を浪費し多くの貴重な出会いを失してきたのではないか。

せめてこれからは、時機を逸することなく、その一瞬一瞬を全身で受け止めることができるように過ごしていかなければと痛感した。


【関連CD】
当日のインバル&東京都交響楽団の演奏が、オクタヴィア・レコードから発売されています。


マーラー:交響曲第10番(デリック・クック補筆による、草稿に基づく演奏用ヴァージョン)

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2014/02/02

中部フィルの活躍に期待する

まもなく立春を迎える如月の2日、中部フィルハーモニー交響楽団の第24回定期演奏会を聴くために小牧市市民会館(愛知県小牧市)を訪れた。

この楽団の演奏会を聴くのは、果たして何年ぶりだろうか…。かつては何度も続けてここへ足を運んだり、三重県松阪市で開催された演奏会に遠征するなど、地元の新進オーケストラとして応援したい気持ちと相まって、熱心に聴きに出かけたものだ。


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この中部フィルハーモニー交響楽団は、名古屋フィルハーモニー交響楽団セントラル愛知交響楽団に続く、中部圏3つ目のプロオーケストラとして活躍している。

楽団の歴史は新しく、創立は2000年。広く中部圏の「音楽芸術文化の振興と向上」を図ることを目的に、市民や企業、各種団体の協力を得て(←プロフィールより抜粋)小牧市交響楽団として発足した。翌年には特定非営利活動法人(NPO法人)となり、2007年に現在の名称に改名したのを契機に、愛知・岐阜・三重の東海3県への演奏活動を、より活発化させ、現在では、本拠地である小牧市や犬山市に加え、三井住友海上しらかわホール(名古屋市)、サラマンカホール(岐阜市)でも、定期的に演奏会を開催している。

これは、楽団の最大の支援企業である東海ゴム工業株式会社の創業地が三重県であったり、かつての事務局長が岐阜県出身だったという縁に加えて、理事長以下、幹部自らがトップセールスを行い、各地におけるオーケストラの拠点づくりに尽力した成果でもあろう。

こうした拡大路線を続ける背景には、公益社団法人日本オーケストラ連盟への正会員としての加盟を目指していることも、ひとつの要因として挙げられる。(現在は準会員。正会員になるためには、定期演奏会の開催数をはじめ、いくつかのハードルがある)

2010年、楽団の歴史を揺り動かす大胆な改革が、音楽界の大きな話題となった。もともと厳しい財政状況に加え、さまざまな課題を抱えていた楽団が、より一層のレベルアップを図るべく、全メンバーに対してオーディションを実施し、不合格の者は切るという大鉈を振るったのである。

一部の団員は反発し、労働組合を結成するなど抵抗したが、予定どおりオーディションは断行され、その結果、団員の約4分の1にあたる10人が解雇されるという事態となった。(この改革には、現在、同団の芸術監督兼主席指揮者である秋山和慶の意向もあったとされる)

将来を見据えた上での、やむを得ない決断だったとはいえ、当事者の団員たちにとっては断腸の思いであったに違いない。こうした苦難を経て、新しく生まれ変わった中部フィル。久しぶりに聴く演奏への期待は、いやがうえにも高まる。


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会場には、開演1時間ほど前に到着。高速道を利用すれば、わが家から車で1時間ほどなので、便利といえば便利だ。

この会館は、2008年から翌年にかけて約40年ぶりに改装されたらしいが、ホール内の雰囲気は、以前とほとんど変わっていないように思える。多目的ホールでもあり、音響面を含めた大規模な改修は難しかったのかもしれない。

受付は専門のホールスタッフではなく、地元のボランティアの方々が担っているようだ。ロビーも、僕の地元の施設に雰囲気が似ていて、なぜか気分が落ち着く。

席に着いて周囲を見渡すと、1334席を擁する客席の1階は、小さな子供からお年寄りまで、およそ9割近くが埋まっている。聞こえてくる話の内容から、地元の人たちが数多く来場しているようで、改めて地域に愛されているオーケストラなんだなあと実感する。(もちろん、家族や知り合いに頼まれて、義務的に来たような人もいたようだが)

もし予備知識なしで、初めて中部フィルの演奏会に訪れた人は驚くかもしれない。なぜなら全団員に占める女性の割合が、圧倒的に多いからだ。 何と9割以上が女性、それも皆、若い! まるで「レディース・オーケストラに、エキストラの中年男性奏者が若干名加わっているような光景」とでも表したらいいのだろうか。男性の立場としては、うれしい限りなのだが…。


冒頭、客演コンサートマスターの稲庭達のソロにより、ヴィヴァルディの『四季』から「冬」と「春」が演奏された。

指揮者の秋山和慶は、チェンバロを弾き振り。演奏は古楽器奏法を取り入れたものではなく、ちょうどイ・ムジチ合奏団のようなモダンスタイルによる解釈。 編成が比較的小さいので、いきおい奏者個々人の力量が目立つことになるが、演奏は生気にあふれ、音色も艶やかで美しかった。

ただ、ソリストの意見を取り入れた結果なのだろうか、楽想のデフォルメがいささか不自然に聞こえる場面もちらほら…。もちろんこの曲は、いろいろな解釈や表現が可能で、それがまた聴き手にとって楽しみのひとつでもあるのだが、今回はテンポやアーティキュレーションなど、音楽の自然な流れを阻害しているようにも感じた。

続いて演奏されたのが、モーツァルトの『ピアノ協奏曲第20番ニ短調(K.466)』。ソリストは、今、僕一押しの若手ピアニストと言ってよい萩原麻未。彼女の実演に接するのは、数年前にラヴェルの『ピアノ協奏曲ト長調』を聴いて以来である。

ステージに現れた彼女は、薄水色の衣装をまとい、以前と変わらず初々しい。1年ほど前、テレビ番組『題名のない音楽会』の出演時と比べると、かなりほっそりとした印象だ。

第1楽章が始まると会場の空気は一変し、ほの暗い雰囲気が漂う。ティンパニが硬めのマレットを使って要所要所にフォルテを打ち込むが、それがまたこの曲にふさわしい。ピアニストの、曲に対する「のめり込み」はすさまじく、前かがみの姿勢とともに、まさに曲に没頭しているといった印象だ。音色は多彩で変化に富み、繊細なタッチを駆使して、モーツァルトの悲しみや喜びを描き切ってゆく。弱音部における細かいニュアンスの変化が、ことのほか美しく、オケともども、これまで僕が聴いた「ニ短調協奏曲」のベスト演奏だと評価したい。

曲が終わり、大きな拍手に迎えられ、照れながらステージに小走りで登場する姿は、乙女らしい純粋さを感じさせる。鳴り止まぬ拍手に応えてアンコールで演奏された、J.S.バッハ作曲&グノー編曲の『アヴェ・マリア』の、これまた美しかったこと!

それにしても、彼女ほどの実力と話題性(容姿を含めて)を兼ね備えたピアニストにもかかわらず、発売されているCDの数が極端に少ないのはなぜだろう?彼女クラスなら日本コロムビアエクストン(オクタヴィア・レコード)などの大手レーベルから、熱心なオファーがあってもおかしくないはず。何らかの事情が、あるのだろうか…。


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15分間の休憩の後、当日のメインプログラムであるメンデルスゾーンの『交響曲第4番イ長調(作品90)』が演奏された。

「イタリア」の題名が示すとおり、南国の青色と白色が空一杯に広がるような、すがすがしいアレグロ楽章からして、このオーケストラにぴったりの選曲だと思った。この日の演奏の流れから考えて、名演は約束されたようなもので、指揮者の見通しのよい端正な音づくりに身を任せながら、安心して聴くことができた。終楽章のサルタレロの熱狂も、なかなかの聴きものだったが、第3楽章のトリオにおける数回にわたるホルンの吹き損じは、いささか気になったのも確かだ。

アンコールでは、レスピーギの『リュートのための古風な舞曲とアリア』第3組曲から「シチリアーナ」がしっとりと演奏された。僕にとっては久々に耳にする曲で、懐かしさを感じながら聴き入っていた。(最後のところで、客席から携帯端末の着信メロディーが鳴り始めたのには閉口した)

終演後はロビーにおいて、萩原麻未のサイン会が行われた。来場者を見送る主催者や楽団員などが入り乱れる中開催されたサイン会だったが、一人ずつ丁寧に対応する彼女の華奢で小柄な姿に、改めて好印象を抱いた。


今回、久しぶりに中部フィルの演奏に接してみて、以前と比べ、格段にレベルアップしたというような印象は受けなかった。それは決して悪い意味で言っているのではなく、以前の演奏も、今回に劣らず素晴らしかったからだ。

これまで国内の様々なオーケストラの演奏を聴いてきたが、中部フィルの技量は、決してそれらのオーケストラに劣るとは思わない。ただ、あえて不足している要素があるとすれば、それは予定調和を超えた激しさとか大胆さなのかもしれない。しかし僕は、この楽団が演奏するマーラーやブルックナーなどの後期ロマン派や、ストラヴィンスキーやバルトークなど、近現代の複雑で大規模な作品に接した機会がないので、演奏面における拙速な評価は差し控えたいと思う。

両雄(名フィルやセントラル愛知)に比べると活躍の場も少なく、知名度においても、まだまだ影が薄いという印象は否めない。僕の周囲には、「中部日本交響楽団」(同じく中部地区で活動する非常設のオーケストラ)と混同している音楽関係者もいるくらいだ。

しかし、小牧市市民会館というホームグラウンドを持ち、行政や地元有力企業の温かい支援を得、地域住民に愛されているということは、大きなアドバンテージであることは間違いない。団員数42名(現時点)は決して十分な数ではないが、あのオーケストラ・アンサンブル金沢※よりも多い。

やみくもに他のプロオケを追いかける必要はないし、そもそも極端な拡大路線は、現状においては難しいと思われる。ただ、事務局体制の強化、とりわけマネジメントに長けた人材の確保は、楽団の発展には欠かせない。例えば、支援企業の中から、優秀な営業マン(音楽好きであることが条件)を複数人「研修派遣」してもらうなどして、売り込みに注力していかないと、本当の意味で楽団の将来は望めないだろう。

これからも地域に根を下ろし、フレッシュさを武器に着実に実績を積み重ねていってほしいと願っている。

※注 オーケストラ・アンサンブル金沢は、室内オケという編成でトロンボーンを欠くことから、実質、規模はほぼ中部フィルと同等といえる。


【お薦め盤】

最新CD。ラヴェル、ショーソン、ビゼーの名曲、名演揃いです!

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【関連映像】
youtubeに、小牧市による紹介映像などが掲載されています。


※敬称は省略させていただきました。ご了承ください。


2014/01/19

世界最高のホルン奏者バボラーク

世界には、思わず「天才だ!」と喝采をあげたくなるような人物が現れるが、彼は、まさにそんな音楽家の一人だ。今や誰もが認める世界最高のホルン奏者、ラデク・バボラークである。

僕が、初めて彼の演奏を聴いたのは、NHK-BS放送の音楽番組だったと思うが、それまでに聴いたこともない雄弁で多彩なホルンの響きに圧倒されたことを憶えている。

そのバボラークのホルン・リサイタルを聴きに、寒さ厳しい1月19日、豊田市コンサートホール(愛知県豊田市)に出かけた。


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このホールを訪れるのは、以前、アルド・チッコリーニのピアノリサイタルを聴いて以来2度目となる。名鉄三河線豊田市駅前「とよた参合館」の8、9階に位置するシューボックス型のクラシック音楽専用ホール(客席数1004)で、場内の雰囲気や音響は実に素晴らしい。

バボラークは、1976年チェコ生まれ。8歳よりホルンを学び、プラハ音楽院での研鑽を経て、ミュンヘン国際コンクールで優勝。「ホルンの神童」として一躍脚光を浴び、現代屈指のホルン奏者として、ヨーロッパやアメリカなどで活躍。ベルリン・フィルの主席奏者をはじめ、世界の名だたるオーケストラを歴任した。現在は、ソロのホルニストとして、オーケストラとの共演や室内楽などで精力的に活躍している。サイトウ・キネン・オーケストラや水戸室内管弦楽団への客演経験もあり、日本でもおなじみの演奏家である。

当日のホールの客席は、6、7割程度が埋まり、熱心なファンに混じって地元高等学校の吹奏楽部らしき生徒も多数詰めかけていた。演奏曲目は、ホルンのオリジナル作品や編曲ものが並び、合間に菊池洋子のピアノソロを織り交ぜるというプログラム構成となっていた。

最初に演奏されたベートーヴェンの『ホルン・ソナタヘ長調』は、この分野における傑作として知られている曲で、全体は3つの楽章からなるが、15分ほどの比較的短い作品。冒頭、ファンファーレ風に朗々と奏でられるホルンの音を聴いていると、「ホルンって、こんなに素晴らしい楽器だったんだ」と思わずにいられない。いつまでもずっと聴いていたくなるほど魅力的で、今回は比較的後ろの方の席だったにもかかわらず、ホールの音響の良さも相まって、細かなニュアンスまで実によく聞こえる。

ケクランの『ホルン・ソナタ』は、初めて耳にする珍しい作品だが、第1楽章の朝の雰囲気を感じさせる導入や、技巧的な3連音符の連続が印象的。バボラークの演奏は、勇壮なフォルティッシモから、ゲシュトップ奏法を取り入れた繊細なピアニッシモに至るまで変幻自在で、ホルンという楽器の多彩な表現力に、改めて驚いてしまう。菊池洋子のピアノ伴奏も、曲の雰囲気にふさわしく、バボラークとの相性もぴったりだ。

20分の休憩を挟んで、後半の初めに演奏されたシューマンの『3つのロマンス』は、オリジナルはオーボエのための曲にもかかわらず、まるで元々ホルンのために書かれた曲のように聞こえる。オーボエのパートをホルンが演奏するって、よく考えてみたら凄(すご)いことなんだと気づく。

他にもチェコの作曲家バルトシュやイスラエルの作曲家コーガンの作品が取り上げられた。いずれも初めて耳にする曲だが、バボラークの演奏の巧みさと相まって、大変魅力的であった。

アンコールが、またしゃれていて、田中カレンの『魔法にかけられた森』より第2楽章とマイケル・ホーヴィット作曲の『サーカス』組曲から、第1曲「マーチ」、第3曲「象」、第4曲「空中ブランコ」、第5曲「ピエロ」が演奏された。初めて聴く曲ばかりだったが、特に後者は、彼のホルンこそサーカスだと言いたいくらい、超絶技巧の連続だった。

聴衆の大喝采のうちに約2時間は、あっという間に終わった。まだまだ聴いていたいと思わせるくらい楽しい演奏会だった。


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ホルンという楽器は、とにかく演奏が難しく、アマチュアオーケストラだけでなくプロのオーケストラにとっても、ホルンセクションは「鬼門」である。オーケストラや吹奏楽では、とにかく曲の重要な場面で頻繁に使われるので、他のセクション以上に、ホルンの出来不出来が、演奏会の成功を左右するといっても過言ではない。聴き手は、どんなに上手いオーケストラであっても、多少なりともハラハラしながら聴いているものだ。

僕は、アマチュアオーケストラを聴く機会が多いのだが、中には聴くに堪えない下手なホルンセクションを抱えたオケに遭遇することがある。聴き続けるのが、正直、辛いのだが、だからといって、そのホルン奏者たちばかりを責める気にもならない。それほどホルンを上手く演奏することは、至難の業なのだ。

しかし、バボラークの演奏は、どんな場面でも全く破綻がなく、不安を微塵も感じさせない。確かにホルンを吹いているのだけれど、時にトロンボーンを思わせるグリッサンドを演奏したり、トランペットのような鋭く輝かしい音を出したり、サクソフォンのような妖艶な音を響かせてみたりと、とにかく彼一人で、何役もこなしてしまう勢いである。
彼のように器用に楽器を操る姿を見ると(少なくとも聴き手には、そう思える)、「ホルンって、吹くの簡単そうだな」と、大変な誤解する人が出てくるのではないか、そういった要らぬ心配をしてしまう。

過去にも、ヘルマン・バウマンとかバリー・タックウェルなどのホルンの名手は存在した。彼らの実演に接していないので何とも言えないが、バボラークほどの名手は、前代未聞、空前絶後なのではないか。他のホルン奏者とは次元が違う。たぶん素人の僕より、実際にホルンを演奏したことがある人なら、実感していただけるのではないだろうか。


フレンチ・リサイタル 20世紀フランス近代ホルン&ピアノ作品集(エクストン)


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演奏会終了後、CD購入者にはサイン会が開催されるということで、ホワイエの販売コーナーに向かったが、いざ、会計の段になって、胸ポケットに入れていたはずのお金が見当たらない!数年前、運転免許証やキャッシュカードなどの貴重品が多数入った財布を紛失してしまい、大変なことになった記憶がある。それ以降、財布を持つことが怖くなり、メモ用紙の間に数枚の紙幣を折り込み、胸ポケットに入れるだけにして用心していたのだが、また、やってしまった…。

せっかく素晴らしい演奏会の余韻を、自分自身の不注意によって半減させてしまったことに落ち込んだ。それでも、小銭入れの硬貨や手帳に挟んである予備のお金をかき集めて、何とかCDを買うことができたのは、不幸中の幸いか。サイン会では、日本語を交えながら気さくにファンの要望に応じるバボラークの姿が印象的だった。


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後日、バボラークは名古屋フィルハーモニー交響楽団との定期演奏会にも登場し、リヒャルト・シュトラウスの『ホルン協奏曲第2番』を演奏するのだが、所用により行くことができないのは返す返すも残念。バボラークは日本びいきで、毎年のように来日しているとのことなので、次回も機会があれば、ぜひ聴きにいきたいと思っている。


※敬称は省略させていただきました。ご了承ください。

2013/12/01

交響曲”HIROSHIMA”、そして…

秋いよいよ深まる11月24日、かねてからの望みだった佐村河内守(さむらごうち・まもる、1963~ )の『交響曲第1番”HIROSHIMA”』を聴くために、神戸国際会館(神戸市中央区)を訪れた。

以前の記事にも書いたが、今夏に横浜で聴くつもりで購入したチケットを、自分の不注意で無駄にしてしまった。そこで、そのリベンジとして出かけたのが今回の演奏会だ。早めの昼食を済ませ、神戸の街の賑わいを散策した後、開場時間の15分ほど前に会場に到着すると、すでに多くの人垣ができていた。僕にとって、この会場は、ジョージ・ウィンストンのピアノソロリサイタルを聴いて以来だ。


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取り立てて急ぐ理由もないし、陽気もいいので、会場前の広場でしばし休息。開場直後の混雑が緩和するのを見届けた後に入場した。

神戸国際会館こくさいホールの収容人数は、約2100席。当日の客席は、ほぼ埋まり、演奏会への期待の大きさをうかがわせる。僕の席は、1階の真ん中通路付近という見通しのよい場所だった。ふと右斜め前を見ると数席の空席があり、その隣に作曲者のご母堂とおぼしき女性の姿が見えた。これはきっと作曲者を含む関係者の席が確保されているのに違いないと確信。予感は的中し、開演しばらく前、佐村河内守氏が会場の観客の大きな拍手の中、入場した。思いがけず作曲者の至近距離に座ることになったということで、緊張で身が引き締まる思いだった。去る3月の「吉松隆還暦コンサート」でも思ったのだが、作曲者と同じ時間と空間で作品を聴けるという喜びは、一言で言い表せないものがある。

今回のコンサートは、サモンプロモーションが今年から来年にかけて行っている『交響曲第1番”HIROSHIMA”』全国ツアーの一環で、この約70分の交響曲たった1曲というプログラムで、全国30ヵ所において順次開催されている。指揮者は一部を除いて金聖響氏が担当し、全国各地の12のオーケストラが演奏する。近年類をみない、なかなか思い切った企画だと思うが、興行的に採算が取れるのかどうか、部外者ながら少し心配になってしまう。


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肝心の演奏だが、やはり生演奏で聴く『交響曲”HIROSHIMA”』は、「圧倒的」という一語に尽きる。すでにCDやDVD、テレビ放送で幾度も耳にしている作品だが、実演から受ける衝撃や感動は、それをはるかに上回る。

複雑かつ緻密に編みこまれたオーケストレーションの妙味は、実演でこそ体験(発見)できると改めて実感した次第。弱音時における繊細な楽器の使い方もさることながら、フォルティッシモで驀進(ばくしん)する怒涛の展開には、ただただ圧巻される。これぞオーケストラを聴く醍醐味、といってよいだろう。

この交響曲は、しばしばマーラーやブルックナーなどの影響を指摘される。確かに終楽章終結部の「天昇コラール」と呼ばれる感動的な部分は、マーラーの『交響曲第3番』の終楽章を思わせるところがある。僕自身の全体的な印象としては、表現方法において、チャイコフスキーの『悲愴交響曲』との類似性を強く感じる。

全3楽章は、ソナタ形式などに基づいているが、必ずしも定石どおり進むわけではない。例えば、提示部で登場した主題が、後半に再現される場合、決して以前と同じような姿では現れず、一ひねりも二ひねりもしてあるので、うっかりすると気付かないで過ぎていってしまう。そのため、曲全体のフォルムがつかみにくく、とりとめの無い曲のように思えてしまうが、聴き込んでいくと、それがまた魅力になっていることを実感できると思う。

ただ、全体を通して、暗く重い音楽が1時間以上続くので、テレビ番組で流れていた終結部だけを聴いて、全曲を聴いてみたいと思っていた人にとっては、期待を裏切られることになるのかもしれない。しかし、曲の随所に聴きどころがあり、1時間を超える長く重苦しい時間を経た後に訪れる「天昇コラール」の美しさは格別である。興味を持たれた人には、ぜひとも繰り返し聴いてもらいたいと思う。

金聖響氏が指揮する大阪交響楽団(旧大阪シンフォニカー)の演奏は、スケールが大きく、悲劇を予感させる第1楽章冒頭から、光りの中に包まれてゆくようなコーダまでの約70分間は、本当にあっという間だったが、物足りないという気持ちは起こらない。演奏後は、作曲者がステージに上り指揮者とがっちりと抱擁。スタンディングオベーションが長く続いた。

終演後、ホワイエにおいて作曲者のサイン会が行われるという場内アナウンスが流れた。せっかくの機会なので、以前購入済みのツアープログラムを再度購入し、すでに長蛇となっている列の後ろに並んだ。そして順番を待つことおよそ数十分、自分の番が回ってきた。あらためてご本人を目の前にすると、やはり緊張する。

通訳の人を通じて、夏の東京での展覧会のことなど、一言二言、お伝えすると、「どちらからこられたのですか?」という言葉。「岐阜です」と答えると「ああ、それはどうもありがとうございます」と両手を差し伸べられ、握手をしていただいた。その大きな手と指に巻かれた包帯の感触が手のひらに残った。

4月以降、仕事の都合で、なかなか先の予定が立てられない中、8月の展覧会、9月のピアノ・ソナタ演奏会に続いて、かねてより悲願だった『交響曲第1番”HIROSHIMA”』の実演を聴くことができた。

交響曲の実演に接することができた感動と、サイン会での思いがけないうれしい出来事で、感激の余韻に浸りながら、幸せな気持ちで会場を後にした。


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テレビや雑誌などで取り上げられ、CDも17万枚を超える大ベストセラーになるなど、世間にも広く認知される存在になった彼が、次に期待されるのは、やはり『交響曲第2番』だろう。すでに曲は2005年に出来上がっていて、音楽評論家の許光俊氏をして「美しい。人間を超えた宇宙だ」と感嘆させた演奏時間110分に及ぶ作品。しかし作曲家自身は迷っているようで、「破棄するかもしれない」と述べている。

次の交響曲に対する、周囲からの期待の大きさが、作曲家自身への過剰なプレッシャーになっているとしたら、何とも複雑なところではあるが、ぜひとも発表してほしいと願っている。また、この文章を書きながら、あの感動をもう一度体験してみたいという思いがわきあがってきた。『交響曲第1番”HIROSHIMA”』全国ツアーは、これからも続くようなので、また機会を見つけて聴きに行きたいと思う。


※文章において、一部、敬称を省略させていただいています。ご了承ください。

2013/05/19

ヒラリー・ハーンの魅力を語る

ようやく本格的に春を迎えた感のある5月の11日、現代を代表する合衆国出身の世界的ヴァイオリニスト、ヒラリー・ハーン(Hilary Hahn)のリサイタルを聴いた。

これまで数多くのCDやDVDなどで彼女の演奏を聴いてきたが、実演に接するのは今回が初めてである。僕の地元である岐阜をはじめ、近場でも何度か演奏会が開催され、生の演奏を聴くチャンスがなかったわけではないが、タイミングが合わず、まさに待ちに待った演奏会となった。

会場は、三井住友海上しらかわホール(名古屋市中区)で、室内楽を聴くには最適の中規模(約700席)のホール。まさに贅沢の極みと言ってよい。彼女クラスの演奏家の場合、愛知県芸術劇場コンサートホールなど大規模なホールで開催されても、おかしくない。しかも、公益財団法人三井住友海上文化財団による助成があるからだろうか、規模の割りにはチケットの価格も低めに抑えられている。

毎年、世界のトップアーティストを招いて自主企画事業を開催しているこのホールは、地元の音楽ファンにとって「聖地」といってよく、こうした活動が地域のクラシック音楽ファンの育成に、どれだけ大きな貢献をしているか計り知れない。

だが、情報によると当ホールは、今年、平成25年度をもって企画事業を終了し、以後は貸館業務に特化する予定とのこと。これまでのような魅力的な演奏会を聴く機会が減ることは、間違いない。長引く厳しい経済情勢を反映してのこととはいえ、適度な規模と優れた音響を有し、世界のトップクラスの演奏を比較的安価に提供してきた自主企画事業がなくなることは、誠に残念なことだと言わざるを得ない。


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今回のリサイタルのプログラムは、ピアニストのコリー・スマイスとのコンビで、モーツァルトやフォーレなどの名曲を前半と後半に置きつつ、世界各国で活躍する20人以上の現代作曲家にヒラリー自身が委嘱する新作プロジェクトの中から、日本の大島ミチルの作品を含め、何曲かが披露された。

これらの委嘱作品は、いずれも長くて10分程度の小品で、アンコールピースとしてつくられたものだが、難解なものから比較的聴きやすいものまで変化に富んでおり、それぞれの作曲家が、技術の粋(すい)を凝らして仕上げられたものばかりである。※いずれこれらは、CDとして発売予定とのこと。

しかし、この日の演奏会のクライマックスは、前半最後に演奏されたJ.S.バッハの『シャコンヌ』だったことは間違いないだろう。この作品は、『無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番(BWV1004)』の中の終曲に置かれた大作で、まさに異形の傑作であることは言を待たないが、ヒラリーの演奏は、その音楽性・技巧・集中力、いずれも圧倒的だった。

曲の中間部後半、重音を駆使したコラールのような経過句を経て、ニ短調の主部へ回帰し、孤高のモノローグが奏でられるが、暗転の中、スポットが当てられたステージ上のヒラリーの姿は、神々しささえ感じられるほどであった。まさに「完璧」ともいえる超絶技巧によって弾き奏でられるヴァイオリンの音色はきわめて多彩で、水晶のような輝きとシルクのような肌触りを併せ持ち、聴き手を飽きさせることがない。


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外見からただようクールな雰囲気、整った容貌は、まるで人形のようでもある。心の底を射ぬかれるようなまなざし、額が盛り上がった知的な横顔が殊に印象的で、誤解を恐れずに言えば、すぐれた文明を持った、どこか遠くの惑星から来た異星人のようにも思える。

この日は、アンコールを含めて正味2時間ほどだったが、あっという間の出来事のようで、できればこの倍くらい聴いていたいと思った。期待を裏切らない、いやそれ以上の感銘を受けた演奏会であった。終演後のサイン会は、今まで見たことないくらいの長蛇の列となったことは言うまでもない。演奏中あれほどの集中力で、相当疲れているはずだと思うが、一人ひとりに笑顔で、ていねいに接しようとする彼女の姿にも好印象を持った。


さて、ここで彼女の恐るべき才能と魅力に触れることができる、2つの演奏(いずれも映像DVD)を紹介したい。


彼女は若手ながら、すでにキャリアも長く、世界の一流オーケストラとの共演も多い。10歳代のデビューから数多くの映像や音源が発売されているが、特に個人的にお薦めなのは、コルンゴルトの『ヴァイオリン協奏曲』を収めた1枚。指揮者ケント・ナガノのサポートを受けながら、この難曲を完璧に弾きこなす姿に、ただただ圧倒される。併録されているドキュメンタリー映像では、インタビューの中で彼女のこれまでのキャリアや音楽家としての考え方が語られている。


ヒラリー・ハーン 「ポートレート」 (ユニバーサル・ミュージック)


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そして、もうひとつは、マリス・ヤンソンス指揮&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演のDVD。当時、彼女はまだ20歳になるかならないかのころの記録だと思うが、これが本当に素晴らしい。

ここではショスタコーヴィチの『ヴァイオリン協奏曲第1番』を演奏しているが、世界最高峰のオケと堂々と渡り合っている。荘厳で緊張感漂う第1楽章を経て、第2楽章のスケルツォで一気にアクセル全開。彼女の演奏に触発されて、フィナーレに向かってベルリンフィルがいつになくヒートアップしていく様子が見て取れる。

アンコールに応えて、バッハの『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番(BWV1001)』からプレストを演奏しているが、彼女の演奏にじっと耳を傾けるベルリンフィルの面々が映像にとらえられている。おそらく彼らも、同じドイツ系の優れた若手演奏家の登場に強い感銘を受け、目を細める思いだったことであろう。


ショスタコーヴィチ 「ヴァイオリン協奏曲第1番」ほか(ユーロアーツ)


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他にも、ベートーヴェンやメンデルスゾーンの協奏曲など、お薦めのCDも数多くあるが、映像とともに聴く彼女の演奏は、ことのほか素晴らしい。


さて最後に…。今回、彼女の生演奏に接して、あらためて彼女が現代最高のヴァイオリニストであると再認識した次第。若くして、これほどまでの境地に達してしまった彼女が、今後どのような演奏家として進化してゆくのか。楽しみでもあり、ある意味、少し恐ろしくもある。

自国の作曲家チャールズ・アイヴズ(1874~1954)のソナタ全曲を取り上げたり、プリペアード・ピアノの名手ハウシュカとのジャンルを超えたコラボレーションなど、意欲的な活動で新たな地平を切り開いていくのは彼女のポリシーのようで、今回の演奏会の現代作曲家の小品集も変化に富み興味深いものだったが、個人的には、ベートーヴェンやブラームスなど、オーソドックスな曲目を、じっくりと聴いてみたいものだと思った。


【参考映像】
J.S..バッハ 「シャコンヌ」

2013/04/29

ヴィオラが奏でるバッハの無伴奏チェロ組曲

ゴールデンウィーク初日にあたる4月27日、宗次ホール(名古屋市中区)で日本を代表するヴィオラ奏者の一人である川本嘉子さんの演奏会を聴いた。


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昨年12月、名古屋フィルハーモニー交響楽団の第397回定期演奏会で、川本さんのバルトーク『ヴィオラ協奏曲』を聴いて、その熱演に強い感銘を受けた。そのコンサートのパンフレットに折り込まれていた告知チラシで、今回の演奏会の開催を知った。

会場の宗次(むねつぐ)ホールは、申すまでもなく、全国チェーンのカレー専門店「CoCo壱番屋」の創業者である宗次德ニさんが2007年、私財を投じてつくったクラシック音楽専用ホールで、連日、ランチタイムコンサートを開催するなど積極的に企画事業を展開。若手音楽家の発掘・支援を目的とした「宗次エンジェルヴァイオリンコンクール」を開催するなど、クラシック音楽の発展とファンの拡大に日々尽力されている。

演奏会当日には、いつも玄関先で宗次さん本人が笑顔でお客さんを出迎え、休憩時にはドリンクコーナーで飲み物の給仕もされていて、こちらが恐縮してしまう。常連の人も多いのだろう、来場者の人たちと笑顔で気さくに歓談されている姿を見ると、「ああ、この人は本当に音楽が好きなんだなあ」と思う。ホワイエで販売されている音楽関係のグッズの多彩さやマニア度の高い掘り出し物CD販売コーナーにも、興味をそそられる。


さて今回は、J.S.バッハ(1686~1750)の『無伴奏チェロ組曲(BWV 1007~1012)』全6曲が一夜で演奏されるという聴き応えのある演奏会。通常の演奏会では、せいぜい3曲程度なので、全曲を一気に聴ける演奏会というのは、大変お得でもある。


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今回のプログラムは、はじめに「第1番」と「第5番」。休憩(15分間)を挟み「第4番」と「第3番」が続き、2度目の休憩を経て、最後に「第2番」&「第6番」が演奏されるという曲順になっている。曲の性格を考慮した上での、バランスの良い組み合わせだ。

ご存知のようにバッハの『無伴奏チェロ組曲』は6つ残されていて、それぞれアルマンド・クーラント・サラバンド・ジーグという4つの舞曲を中心に、6曲で1つの組曲が構成されている。川本さんは、それら6曲を間断なく演奏するので、「組曲」というより、次々とエピソードが展開してゆく単一楽章の「幻想曲」のように感じられる。各曲は15分程度という早めのテンポで演奏されたが、弾き飛ばしているという印象はなく、細部のニュアンスも豊かである。音域がチェロより1オクターブ高いので、チェロのような重厚さは求められないが、音の動きが機敏で、流れるようなフレージングが特徴となっている。今日の演奏会は、アンコール曲も含めて約2時間半(休憩時間を除けば実質2時間程度)。もっと長丁場になるかと思っていたが、演奏会の規模としては普通の長さに収まった。

最初に演奏された「第1番」は、6曲の中で最も明朗快活な曲として知られるているが、ヴィオラによる演奏はその印象に拍車をかける。だが、続く「第5番」では曲の表情が一転、冒頭から彫りが深く、厳しい音楽が奏される。その不意打ちを食らったかのような強烈なコントラスト! この心理的なインパクトも、今回のプログラミングの効果であろう。

ちなみにこの「第5番」という曲は、僕にとって全6曲中、最も距離を感じる(←嫌いという意味ではない)作品。昔、ロストロポーヴィチのリサイタルでこの曲を聴いたことがあるが、あの「チェロの神様」でさえ、終始、弾きにくそうで、重音もかすれ気味だったため、その後の印象がよくない。それが今回はヴィオラによる演奏ということもあってか、響きの見通しがよく、曲独特の渋みが適度に抑えられ耳になじむ。「第6番」のガヴォットⅡではミュゼット(バグパイプ)の響きが模写されるが、ヴィオラだと、よりそれに近い効果が得られる。

反面、チェロとの違いが大きく感じられる場面もあった、例えば「第4番」の終曲ジーグは僕の大好きな曲だが、チェロのように低音をブンブン効かせた、たくましい推進力は感じられない。最も勇壮な曲想を持つ「第3番」では、チェロのようなスケールの大きさを期待すると裏切られる。むしろゆったりとしたサラバンド楽章において際立つ、重音を伴う荘厳なメロディーの響き(「第2番」も同様)を味わうべきなのだろう。

今回の熱演をいっそう引き立てるのが、ホールの音響の美しさである。もちろん設計段階で十分に計算されているのだとは思うが、実際出来上がってみたら想像以上の音響空間が生まれたかのような、そんな印象を抱いている。何回かの演奏会を聴いて実感していることだが、紛れもなくトップクラスだと思う。ホールに広がる残響の見事さ!視覚から感じるステージとの距離以上に、客席へ届く音にはリニアリティがある。これからも末永く、地域の宝として親しまれていってほしいと切に願っている。


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ところで『無伴奏チェロ組曲』といえば、何と言ってもパブロ・カザルスの演奏が忘れられない。長年埋もれていたこの曲を発掘した功績とともに、研究の成果に裏付けられた深みのある演奏が素晴らしい。音楽学者の皆川達夫氏が「この作品に関して、私にはカザルスの演奏をおいて他に考えられない。<古いスタイル><表現過多> 何と罵られようと、これだけは絶対なのである」と述べておられるが、まさにそのとおりだと思う。1936年から1939年にかけて録音されたモノラルの古い音ながら不満を感じることはない。最近はシングルレイヤーのSACDが発売され、評判もすこぶるよいと聞くが買い換えるつもりはない。この演奏の価値は、音の良し悪しを超えたところにあると思っているからだ。


バッハ 無伴奏チェロ組曲(東芝EMI)


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他にもトルトゥリエの新旧盤、ロストロポーヴィチ、ビルスマ、ブルネロなど数多くの名手によるCDを聴いてきたし、最近では、肩にかけて演奏するヴィオロンチェロ・ダ・スパッラによる寺神戸亮の演奏も大きな話題になった。ヴィオラによる演奏では、今井信子盤も定評があるが、最近は、ツイッターのフォロワーの方から教えていただいたジェラール・コセの演奏を繰り返し聴いている。ヴィオラの名器ガスパロ・ダ・サロによる温かみのある演奏はもちろんのこと、残響豊かな録音も雰囲気があって素晴らしい。


Bach: Suites de danses(ヴァージン・クラシックス:輸入盤)


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バッハの『無伴奏チェロ組曲』は、この分野における代表的な作品であり、日ごろ耳にする機会は圧倒的に多い。オーケストラコンサートでも、協奏曲のソリストがアンコールピースとして取り上げることもしばしばだ。しかし、今回のように全6曲を一夜で聞く経験は初めてだったし、今後、そう何回も巡ってくることはないだろう。演奏者にとっても、体力や集中力を消耗させる試みであることは間違いない。実際、川本さんも、演奏会終了後のサイン会で「大変よ~」と話していた。

今回は、6つの曲が持つそれぞれの個性的な特徴とその魅力を堪能するとともに、この作品が名曲中の名曲であることをあらためて思い知ることができた貴重な演奏会であった。

【参考映像】

カザルスによる『無伴奏チェロ組曲』から「第1番」


2013/03/30

吉松隆の時代 ~還暦コンサートを聴いて(其の参)

第3部は、おなじみ大河ドラマ『平清盛』の音楽からテーマ曲など7曲が演奏された。これを目当てに来場した人も多かったに違いない。観客席を眺めていると、曲に合わせて頭や体を動かしている人があちらこちらに見受けられた。

昨年の大河ドラマは視聴率の面では芳しくなかったようだが、ドラマの質は過去最高の部類に入ると思ったし、吉松氏の音楽が果たした役割は大きい。それは、先ごろ「第67回日本放送映画藝術大賞」の放送部門「最優秀音楽賞」に選ばれたことでもわかるだろう。東フィルの演奏は、「テーマ曲」の爆走感こそNHK交響楽団に今一歩譲るが、ドラマの雰囲気を彷彿とさせる名演。さずが劇中の付帯音楽の演奏を担っただけのことはある。

その中でも「情歌」は、番組中の何度も登場した「固定楽想(idée fixe)」ともいえる印象的な曲で、先日、NHK-FMで放送された冨田勲&吉松隆の鼎(てい)談番組の中でも冨田氏から、「ストリングスがつくりだす絶妙な”間”が、日本を強く感じさせる」と絶賛されていた。弦楽器が奏でる哀愁を帯びた旋律は、聴く者の心を大きくゆさぶる。

そして、いよいよ最後のプログラム、コンサートのクライマックスとなる『タルカス』である。エマーソン・レイク&パーマーが1971年に発表したプログレッシヴロックの名曲。2010年、この曲を吉松がオーケストラ用に忠実に編曲し、大きな話題となった。大河ドラマ『平清盛』の中でも非常に効果的に使用されていた。

「よしゃ!」という気合を発して指揮者がステージに現れる。プログラムでは第2部と第3部を演奏すると書いてあったが、ひょっとしてこれ、ほぼ全曲に近い演奏じゃないの? とにかく恐るべき名演。先に発売された初演時のライブCDや『題名のない音楽会』での演奏を上回る迫力とスピード感。終曲「アクアタルカス」で頂点に達し、圧倒的な高揚感の中で曲が終わる。

終わるやいなや、客席から巻き起こる悲鳴のようなブラボーの嵐。顔を紅潮させたキース・エマーソンが、吉松氏に手を引かれて客席からステージ上に登壇すると、さらに割れんばかりの拍手が…。キースは客席に向かってガッツポーズし、指揮者と抱擁。まさに感無量の面持ち。観客席は総立ちで、キース・エマーソンと吉松隆への嵐のような拍手は鳴り止まない。するとおもむろにキースがステージ下手のピアノに向かって歩きはじめる。どよめく客席。『タルカス』のモチーフを左手に『Happy Birthday』を演奏し始めると大きな歓声が!

サプライズは続き、指揮者の合図でオーケストラも『Happy Birthday』を演奏し始める。すると、ステージ上に大きなバースデー・ケーキが運ばれてきた。ケーキには白地にチョコレートで「祝還暦 吉松隆様」(←だったと思う)と書かれたの文字が見える。女性アシスタントから「赤いちゃんちゃんこ」と「ずきん」を手渡され、着るように促されると素直に従う笑顔の吉松氏。客席からは笑いと万来の拍手が…。演奏者やゲスト、何よりホールを埋めた超満員の聴衆から温かい祝福を受ける吉松氏。まさに作曲家人生「最高の瞬間」ではなかったかと思う。


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カーテンコールを経て、コンサートはようやく終了。時計を見ると18時50分!これは予約していた19時40分の新幹線にギリギリ間に合うかどうかといった微妙な時間。明らかに無理な時間なら諦めもつくが、こういう中途半端な時間がいちばん困る…と嘆きつつ、とりあえず間に合う努力をしてみようと決心する。

興奮冷めやらない会場に後ろ髪を引かれながら、そそくさとホールを後にしてアプローチを全速力で駆け抜け、京王新線のホームへ到着。しかし努力の甲斐むなしく電車は出たばかり。焦る気持ちを抑えながら、やっとのことで乗車し、新宿駅で山手線に乗り換える。車内のDPで品川駅到着時刻を確認すると何と19時36分。またもや全速力で新幹線ホームを駆けるはめになる。そして、何とか当初の予定どおりの新幹線に間に合い、動き出した新幹線の座席で、ほっと一息。購入した著書『作曲は鳥のごとく』や演奏会パンフレットをパラパラとめくりながら、ようやくコンサートの余韻に浸ることができた。


「作曲は鳥のごとく」(春秋社)

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休憩時間を含めて4時間にも及ぶコンサートは、こうして過ぎていった。まさに一期一会の出来事で、ファンの一人として、歴史的瞬間に立ち会うことができ、終生忘れられない一日となった。

それにしても、現代日本の作曲家のコンサートが、これほどまでに大きな盛り上がりを見せたのはなぜか。いくつかの要因が考えられるが、とにかく今回のコンサートは、絶妙のタイミングでの開催だったことがわかる。プログレの名曲『タルカス』をオーケストラ曲として編曲・発表した話題性。昨年(2012年)には大河ドラマの音楽を手がけ、その素晴らしさが大きな反響を呼んだ(前述の『タルカス』も番組内で使われた)。各種メディアへの露出も増え、吉松氏に対する世間の認知度が一気に高まった。ラジオ番組の司会、『題名のない音楽会』や『らららクラシック』へゲスト出演し、その分かりやすい解説と親しみやすいキャラクターが注目されるなど、これらの相乗効果が、吉松ファンを一気に増加させたことは間違いないだろう。

しかし何より、吉松隆の音楽が持つ本来の魅力。一般大衆の耳に優しく、しかも心に強く訴えかける力を持つ彼の音楽に、クラシック音楽ファンのみならず多くの人たちが気づいたことが最大の要因であろう。モーツァルトやベートーヴェン、ブラームスなど過去の大作曲家の音楽も、もちろん素晴らしいが、同時代に生きる作曲家を応援できる喜びは、また格別なものだ。

吉松隆ファンで本当によかった!


【追記】

この演奏会の模様は、来る5月1日、BSプレミアムの『クラシック倶楽部』で放送予定との告知が出口付近に掲示されていた。感動の記憶を再びよみがえらせることができるのは喜ばしいが、実質約3時間半にも及ぶ内容を、たった1時間の番組では寂しい。できれば後日改めて、日曜深夜の『プレミアムシアター』などでの放送を強く希望したい。それだけ価値のある、素晴らしいコンサートだったことは間違いないのだから。


※一部、敬称は省略させていただきました、ご了承ください。

2013/03/24

吉松隆の時代 ~還暦コンサートを聴いて(其の弐)

春分の日の3月20日、「吉松隆還暦コンサート」のために新幹線で東京へ向かう。

当日は午後3時からのコンサートだったので、時間的には十分ゆとりをもって自宅を出ることができた。
《鳥の響展》と題されたこのコンサートは3部構成で、チラシによると終演予定は午後6時。つまり、約3時間たっぷりと吉松作品が聴けるというファンにはたまらない企画だ。

吉松隆氏のホームページによると、当日の会場では、初の自伝『作曲は鳥のごとく』が販売され、購入者には何か特典が用意されているということだった。特典とはサイン会のことだろうと推測し、帰りは大幅にゆとりをもった計画を立てることにした。

品川駅から山手線に乗り換え、新宿駅には予定通り12時半過ぎに到着。会場である東京オペラシティ(東京都新宿区)までは2キロ程度、ウオーキングも兼ねて歩くつもりだった。(隣の新国立劇場には、かつて歩いた経験がある)だが、この日は季節外れの陽気で、もし歩いて会場に着いたとしても、汗だく状態で演奏に集中できず、おまけに疲れて睡魔にでも襲われたら、せっかくのコンサートも台無しになると考えて、駅前で昼食をとった後、京王新線で会場に向かうことにした。

初台駅を降り、いざ会場へ。

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東京オペラシティ(東京都新宿区)を訪れるのは確か3回目だと思うが、かれこれ十数年ぶりだ。

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開演1時間前にもかかわらず、3階のコンサートホール前には、すでに多くの人だかりができていた。

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14時30分、開場の合図とともに、どっと人が動いた。

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ホワイエを入ったところに、お祝いの花がいくつか。

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そして、右手の電話コーナー前にも。

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まずは著書の販売コーナーに直行。すでに大勢の人だかりができていて、吉松氏の自伝は、まさに「飛ぶように」売れていた。


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事前に予告されていた特典は、書籍に挟まれていた吉松隆氏の直筆サイン入りカードだった。自作のイラストとともにベートーヴェン『第九』の「歓喜に寄す」の一節「Alle Menschen werden Brüder , Wo dein sanfter Flügel weilt.(汝の柔らかい翼が留まるところで すべての人々は兄弟となる)」が記されていた。この日、会場に集うファンへの感謝の想いが込められた粋な贈り物だと思った。


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自伝を購入後、しばらくホワイエをうろうろする。歴史的瞬間の目撃者の一人として、その空気に浸りたかったからだ。作曲家の西村朗氏、早稲田大学教授の小沼純一氏、音楽評論家の片山杜秀氏ら著名人の姿を目にしてミーハー気分も味わったが、『タルカス』の作曲者でもあるキース・エマーソン(!)とすれ違ったときは、さすがに心臓がバクついた。

僕の座席は、ステージ上手の2階席。ここからは演奏者だけでなく観客席の様子が手に取るように分かる。ふと客席を見下ろすと、真ん中あたりに赤いハンカチを胸にした作曲者の吉松隆氏、その右隣にはさきほどのキース・エマーソンの姿が見えた。何というすごい光景だろう。まさに「アンビリーバブル」だ。

すでにチケットは「完売」とのことで、客席は満席。世代も若者からお年寄りまで幅広く、これは一人の現代日本の作曲家のコンサートとしては、前代未聞のことではないだろうか。ステージ上を含めて、マイクが何台もセットされていることからみると、ライブCD化の可能性もあると思われる。また、客席やステージには、テレビカメラが何台も…。これはNHKのクルーらしい。

第1部は、ピアノソロやデュオ、アンサンブルの作品集。吉村七重の二十絃箏&長谷川陽子のチェロによる『夢詠み』に始まり、田部京子と小川典子による『ランダムバード変奏曲』に至るまで、吉松氏のインティメートで変化に富んだ作品の数々が、多彩な顔ぶれの演奏家たちによって、次々と演奏された。

例えば、ハープと弦楽合奏の調べに乗って独奏チェロが奏でる『夢色モビール』の幻想的でパステルカラーのような色彩感! 『タピオラ幻想』から「水のパヴァーヌ」では、舘野泉氏による鬼気迫るようなピアノソロ。最後の『ランダムバード変奏曲』は、さまざまな演奏技法が駆使されることで知られるが、第4変奏「鳥のコラール」の静謐な美しさと第5変奏「グロテスクな鳥の踊り」におけるクラスターを多用したダイナミックな展開。そのコントラストに圧倒される。これらの曲はCDで親しんできたものがほとんどだが、実演から受ける感銘は、それらをはるかに上回るものだった。最後に、すべての演奏者がステージに集合し、客席の吉松氏とともに大きな拍手が贈られた。それにしても今日の聴衆の拍手には、何かすごく「温かさ」を感じる。

第1部が終了した時点で、午後4時20分。この調子でいくと、終演は予定時刻の午後6時をオーバーすることは間違いない。若干の不安が心をよぎる。「まあ、多少の遅れは大丈夫だ。サイン会が開催されないことは分かったし、余裕だろう」 と思い直した。しかし、演奏会終了後、それが甘い考えだったことを思い知ることになろうとは…。

休憩中、2階から1階のCD・楽譜の販売コーナーを眺めると、多くの人が殺到している。第1部であれほど素晴らしい演奏を聴いた後だから無理もないと思った。長年のファンである僕としては、喜ばしい反面、少しだけ寂しい気持ちも…。


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20分の休憩が終わり、席に戻って客席側に目をやると、吉松氏の席の通路を挟んだ左隣に冨田勲氏の姿が見えた。ここ最近、ラジオ番組等を通して交流を深めている両氏。大河ドラマの音楽担当者として、慶応大学の先輩・後輩として、そして何より、難解な現代音楽全盛の時代、聴衆に寄り添い美しいメロディーを作り続けた作曲家同士、共鳴する部分も多いのであろう。吉松氏はかねてより、最も影響を受けた日本人作曲家として武満徹とともに、冨田氏の名前を挙げている。

やがて吉松氏が席に戻るとキース・エマーソンに冨田氏を紹介、両者ががっちりと握手している光景を目撃することができた。「世界のトミタ」の存在は、キースもよく知るところであろう。

第2部が始まる。1曲目の『鳥は静かに…』は、弦楽合奏のための単一楽章の作品。「吉松トーン」とでも呼ぶべき叙情的な魅力が横溢する名曲。2階から俯瞰していると、ヴァイオリンの弓が、さざ波のように動く。途切れ途切れのゆったりとした旋律は、まるで鶴の羽ばたきのようにも感じられる。旋律が上昇線をたどり頂点に達する部分は、夕日の光の中に消えてゆく姿を観るようだ…。

続いて演奏されたのは、吉松氏の代表作の一つである『サイバーバード協奏曲』。サクソフォンのソロとともに、ステージ上手前方には、ピアノとドラムパーカッションが配置されている。彼の作品の中でも、とりわけオリジナリティが際立つ作品で、初演以降、世界各地で演奏され続けている。サクソフォンの特性がこれほど生かされた協奏曲は、かつて存在しなかったといってよいだろう。第1楽章のテュッティでは、まるで大量のアゲハチョウが一斉に羽ばたく瞬間を見ているかのごとく鮮やかだ。この色彩感、恍惚感はスクリャービンを凌駕している! そして「悲の鳥(Bird in Grief)」と題された第2楽章の、瞑想的で悲痛な調べ。作曲当時、最愛の妹を亡くした吉松氏の心情が反映されている。そして第3楽章は、まさに疾走する鳥。身体を紅潮させ、叫び声を上げながら、天空に向かってひたすら上昇してゆく。


吉松隆「サイバーバード協奏曲」ほか(シャンドス)

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第2部最後には、作曲家25歳の幻のデビュー作『ドーリアン』が演奏されたが、ステージの準備が整うまでの「場つなぎ」として行われた指揮者の藤岡幸夫氏とソリストの須川展也氏とのトークでは、藤岡氏が、

「吉松作品に出会って、人生の半分をかけてもいいと思った。全部はもったいないけど」
「ここであまり吉松さんを褒(ほ)めても、つまらないし…」
「この『ドーリアン』は、ストラヴィンスキーの『春の祭典』が風邪を引いたような曲で…」(←会場爆笑)

などと、吉松作品へのさまざまな想いを語った。

始めて聴く『ドーリアン』という曲は、(作曲者は否定しているようだが)ストラヴィンスキーに強い影響を受けたことが明らかで、冒頭から大編成のオーケストラのパワーが炸裂。3拍子を基本として、拍子や場面がめまぐるしく変化する「尖った」作品だ。クライマックスで弦楽器がドーリアの響きを奏でる箇所は、後年の作品を予感させる。まさに「ロック・シンフォニー」とでも呼びたい作品。(前述のトークでも言及されていたが、この演奏はCD化される可能性が大だ)

なお、熱演の東京フィルハーモニー交響楽団のメンバーには、コンサートマスターの荒井英治氏をはじめ、「飛騨高山ヴィルトーゾオーケストラ」でもおなじみの顔ぶれが数多く出演していて、僕的には、すごく親近感を持った。

第2部の終了時点で、腕時計の針は午後5時40分を指している。この調子だと終演時間は大幅に遅れて、いよいよ午後7時になる可能性も出てきた。休憩時間のホワイエでは、おそらく同じ心配をしているのだろう。「よわったなあ…」と何度もつぶやきながら、必死に携帯電話を操作している人を見かけた。

僕自身も、時間に余裕をもってスケジュールを組んでいたつもりだったが、予約した19時40分品川発の新幹線には間に合わないかもしれない。しかし、この一期一会の素晴らしい演奏会の前では何のこともない。遅れたら遅れた時と、腹をくくるだけのことだ。


其の参に続く)


※一部、敬称は省略させていただきました。ご了承ください。

2013/03/23

吉松隆の時代 ~還暦コンサートを聴いて(其の壱)

春の到来とともに、心待ちにしていたコンサートを聴ける日がやってきた。それは、3月20日に東京オペラシティ コンサートホール(東京都新宿区)で開催された「吉松隆還暦コンサート」である。

僕と吉松作品との出会いは、おそらく「日本の現代管弦楽作品集」という3枚組のCDに入っていた『朱鷺(トキ)に寄せる哀歌』だった気がする(明確には憶えていない)。曲のクライマックスで、ヴァイオリンが次々に朱鷺の鳴き声を模する部分では、あまりの美しさと哀しさに軽い目まいを覚えるほど感銘を受けた。

また1991年に発売された「鳥たちの時代」という吉松隆作品集も、当時かなり夢中になって聴いたCDで、昔、地元で開催されたイベントで、指揮者の大友直人さんと少しお話しする機会があり、吉松隆という素晴らしい作曲家がいてCDも出ているとお伝えしたら、「あのCDには、僕の指揮した演奏も入っているよ」と言われて冷や汗をかいた記憶がある。いずれにしてもファン暦は、かれこれ20年以上になることには違いない。


「鳥たちの時代」(カメラータ・トウキョウ)

Yoshimatsucd3


実は、この「吉松隆還暦コンサート」が開催される2日前の18日にも、同じ新宿で開催された別の演奏会で、吉松氏の作品を聴く機会に恵まれた。急きょ仕事で1泊2日の東京出張の予定が入ったため、「せっかくだから、何かコンサートにでも行けたらいいなあ…」とぼんやり考えながら、吉松隆氏のホームページをのぞいてみたところ、ピアニストの河村泰子さんが吉松作品を弾くコンサートの告知が目に飛び込んできた。何たる奇遇!これはぜひ、予定をつけて聴きに行かねばと思って、さっそくチケットを購入した。

当日の東京は、天気予報によると雨となっていて少し心配だったが、小雨程度にとどまったのは幸いであった。1日目の仕事を終えて、会場のドルチェ楽器東京店(東京都新宿区)に向かい、開演の約20分前に到着。このアーティストサロンは百人程度のスペースだが、熱心なファンで、ほぼ満席に近い状態だった。

このコンサートは、トロンボーン奏者の村田厚生氏とのデュオリサイタルで、河村泰子さんとは(財)地域創造のアウトリーチ事業での共演がきっかけとのこと。プログラムでは、デュオの合間に河村泰子さんによる吉松作品のピアノソロ演奏が挟まれ、今回は『4つのロマンス』、『6つのヴィネット』、『青い神話』が演奏された。かねてより吉松作品の演奏に定評があり、響きの余韻を大切にした繊細な音色がとても美しい。

作曲者から作品を献呈されている彼女は、

「吉松作品は、譜面を見ると簡単そうにみえるけど実は難しい」
「演奏する側の心がピュアじゃないと…、すべてが音に出てしまう」
「吉松さんから、今の演奏には”オバサン”が入っている、とダメ出しされたことがある」

など、興味深い小話を交えて演奏。ちなみに当日は、ちょうど吉松氏60歳の誕生日で、数時間前のリハーサルには作曲者も顔を出されたらしい。

この日は僕にとって、吉松作品を聴くことが目的ではあったが、トロンボーンとの異色の共演も、想像以上に楽しむことができた。村田氏の語りを交えながらのピアソラ、ワイル、レハール作品の演奏。後半では、溝入敬三の『天使とトロンボーン』という曲が演奏され、小ネタを交えた寸劇を見ているような面白さだった。客席には作曲者も来場されていて、さかんな拍手が贈られていた。


Dolceconcert


外は小雨が残り、けっこう風も強かったが、満たされた気分で会場を後にすることができた。明後日の「還暦コンサート」への期待も、ますます高まったことは言うまでもない。

其の弐に続く)


【参考音源】

吉松隆『6つのヴィネット』から、第2曲「時のロマンス


※一部、敬称は省略させていただきました。ご了承ください。

2013/02/23

エルガーの遺作交響曲

春が待ち遠しく感じられる如月の15日、名古屋フィルハーモニー交響楽団の第399回定期演奏会を聴きに愛知県芸術文化センター(名古屋市東区)を訪れた。

季節は立春を過ぎ、時に暖かい日差しが感じられる日もあるとはいえ、まだまだ北風が頬に冷たい日が続いている。この冬は気候の変化が大きく、1月下旬には体調を崩してしまった。病もようやく癒えて、先週は、この会場でロッテルダム・フィルハーモニーの演奏会でラフマニノフの『交響曲第2番』を聴いたばかりだが、今回も、それに勝るとも劣らない魅力的なプログラムが並んでいるのだから、聞き逃すわけにはいかない。

「マザー・グースの国から」と題された今回の定期演奏会は、僕にとって今シーズンの名フィルの演奏会中でも、最高に魅力的なプログラム揃い。前半にディーリアス(ビーチャム編)の『楽園への道』、そしてラヴェルのバレエ組曲『マ・メール・ロワ』が演奏された。どちらもロマンチックかつメルヘンチック、いやが上にも想像力をかき立てられる曲目だ。しかし今回一番の目的は、何といっても後半に演奏されるエドワード・エルガー(1857~1934)の『交響曲第3番ハ短調(作品88)』である。


Nagoyaphilcon


この交響曲は、エルガー自身によって第1楽章冒頭など、ごく一部が総譜として残されているだけで、130ページに及ぶ未整理状態のスケッチを、この作品の委嘱者であるBBC(英国放送協会)が同国の音楽家アンソニー・ペイン(1936~   )に補完を依頼、1998年に補筆完成版として世界初演された作品である。全体は4楽章からなり、演奏時間1時間弱の大交響曲に仕上げられている。専門家の間での意見は分かれるにせよ、残された数少ない手がかりや他のエルガー作品を参考に、想像力をたくましくして、よくぞここまで完成度の高い作品に仕上げたものだと感心するほかない。真に偉大な仕事である。


エルガーが残したスケッチ(第1楽章の一部分)

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僕がこの交響曲に出会ったのは10数年前、東京に出かけた際、池袋のメトロポリタンプラザ内にあったHMVのクラシック売り場でCDを物色していたとき、偶然、店内に流れてきた荘重で美しいオーケストラ曲に耳を留めたことにさかのぼる。「はて、誰の曲だろう? 聴いたことないけど…」、ふと興味を持って、レジに置いてあったCDを何気に見て驚いた。それがこの交響曲だった。

それまでエルガーの交響曲といえば、『第1番変イ長調(作品55)』と『第2番変ホ長調(作品63)』の2曲のことだった。最晩年になって新しい交響曲に取りかかったが、作曲者逝去のためスケッチのみで終わったはず…。だが、そのCDがここにある! それは僕にとって、まったくの予想外の出来事だった。CDは、アンドリュー・デイヴィス指揮&BBC交響楽団の演奏による全曲演奏盤が1枚。別売として、この交響曲のために残されたスケッチを補筆者であるペイン自身が解説したCDが1枚あった。もちろん両方とも即座に購入した。


エルガー(ペイン補筆完成)「交響曲第3番」(NMC:輸入盤)

Elgarcd


エルガー「交響曲第3番」スケッチ集及びペインによる解説(NMC:ダウンロード版)

Elgarcd2


それまで僕にとってエルガーの交響曲とは、後期ロマン派の外見をまとった「地味で長大な作品」といった印象が強く、その冗長感から敬遠気味だった。『第1番』の初演者で、作品の献呈者でもある指揮者ハンス・リヒターは「当代最高の交響曲」と評したらしいが、とてもそうは思えなかった。

しかしこのペイン補筆によるこの『第3番』は、そうした取っつきにくさが少なく、すんなりと聴くことができた。特に未完のオラトリオ『最後の審判』から採られたという第1楽章の第2主題は、エルガーの特徴のひとつである「ノビルメンテ(高貴に、貴高く)」を象徴するような気品のある印象的な音楽で、このメロディーが聴けるだけでも、補筆された価値があると思ったほどだ。また、第4楽章冒頭の金管群による輝かしいファンファーレや、それに続く弦楽器を伴った勇壮な展開も、まさにエルガーそのものを感じさせる。

この交響曲に出会って以降、ポール・ダニエル盤やコリン・デイヴィス盤、リチャード・ヒコックス盤など、新しいCDが発売されるたびに購入してきた。「いつか実演でも聴いてみたい」とは思いながら、なかなか機会は訪れなかったが、今回ようやく念願かなって、名フィルの定期演奏会で聴ける機会がめぐってきた。

今回、指揮を担う尾高忠明氏は、かねてよりエルガーの演奏に定評がある。この交響曲も札幌交響楽団とのCDがあるし、最近はNHK交響楽団との定期演奏会でも取り上げていて、まさにうってつけの指揮者といってよい。彼と名フィルによるエルガーの交響曲といえば、2009年の定期演奏会で『交響曲第2番』を聴いたことがあり、あの時も、大変な名演奏だったと記憶している。


さて、期待に胸を膨らませて出かけた演奏会だが、前半はディーリアス、ラヴェルともども、繊細で温かく、夢と現(うつつ)の境を行き来しているかのような感覚を覚える名演だった。ディーリアスの『楽園への道』は、悲劇的な結末を描く作品ながら、何か彼岸を見るような明るさが印象的だし、ラヴェルの『マ・メール・ロワ』では、特に終曲「妖精の園」の前半、弦楽器で奏でられる旋律が繊細で美しさの限りだった。

さて、休憩を挟んで、いよいよエルガーの交響曲だ。演奏は第1楽章の冒頭から、たいへん熱のこもったメリハリのある演奏が続く。もちろん第1楽章第2主題の歌わせ方も申し分なかったし、第2楽章アレグロの神秘的なテーマもデリケートの極みだったが、今回、実演に接してみて改めて実感したのは、第3楽章アダージョの荘厳で深遠な美しさ。これまでCDでは気付かなかったのだが、穏やかながら辛口の音楽が続く中で、弦楽器によって奏でられるニ長調のメロディーは、心癒(いや)される至福の瞬間と感じた次第。

続くアレグロの終楽章は、冒頭の金管のファンファーレに始まり、さまざまな展開を経ながら、最後はピアニッシモで消え入るように全曲を閉じる。これは補筆者であるペインのアイデアだが、絶筆となったこの曲に似つかわしく、エルガー自身の「生への別れ」のようにも感じられる。指揮者の尾高氏は熱演のあまり、指揮棒を飛ばしてしまうというハプニングもあった。(僕は気づかなかったけれども…)


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客席で演奏を聴きながら、この『交響曲第3番』という曲は、つくづく恵まれた作品だと思った。その成り立ちを考えれば、必ずしもエルガーの真筆と言い切れないだろう。しかし、このペインによる補筆完成版が世に出て以降、エルガーのスペシャリストと呼ばれる多くの音楽家たちによって演奏会のプログラムとして取り上げられ、CDも数多く発売されている。それは、この曲の中に、紛れもないエルガー本人の息づかいを感じる瞬間があるからに他ならない。それはちょうど、遠い昔に亡くなった故人の遺品から、今まで知らなかった写真や手紙を見つけた時のようなものだ。

これまでの再演回数が200回を超えるという事実は、ペインが多くの困難を乗り越え達成したその偉大な業績に対する賞賛の証(あかし)でもあるのだろう。エルガーの音楽を愛する世界中の人々にとって、ペインの補筆による遺作交響曲は、きっと懐かしさで胸が締め付けられるような瞬間を感じることができる特別な存在に違いない。


【参考音源】
youtubeに全曲演奏の映像が掲載されています。補筆者のアンソニー・ペインも登場しています。


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