日記・コラム・つぶやき

2016/01/11

音楽に向き合える幸せ

ここ1年半ほど前から、公私ともに、いろいろな出来事が重なって、ブログの更新ができなくなってしまった。


あいかわらずツイッターは続けていて、そちらでは音楽に限らず、様々なことをつぶやき、今やメインツールになっている。一方で、それこそ自分の生活に大きなウエイトを占めるほどのめり込んだはずのブログは、ほとんど手つかずのままだ。今も当時から書きためた記事はいくつもあるのだが、内容のチェックが行き届いていないので、掲載は見送っている

演奏会へは、一時期は年間130回を超えるほど出かけていた。他にも美術館などに行く機会も多かったので、一週間に平均3回以上は何らかの鑑賞に出かけていた計算になる。さすがに現在は、そのような芸当は無理だが…。

演奏会等に出かけて、いい演奏に遭遇すると、どうしてもこのブログへの記事を書こうという思いがわき上がり、純粋に目の前の音楽にのめり込めなくなる自分がいて、自分で自分を追い込んでいるようなことが多くなった。いくつもの未定稿の記事が宿題のようになり、更新が大きな負担になってしまっていたことは否めない。記事のための写真を撮ろうとしても、ホール内では、演奏前であっても写真撮影が禁じられているところもあり、何度もホールスタッフに注意されたこともあった。

CDを買うペースは若干落ちたものの、たくさん取り寄せて部屋は山のようだ。ただ、じっくり聴く時間が取れないのが悩みである。

また、佐村河内守氏のゴーストライター事件が起こり、当ブログ内でも、それまでにいくつか記事を掲載してきたため、ご批判をいただいた。この件も、更新に慎重になった一因かもしれない。(この件については、今後、当ブログ内で総括しようと考えている)

趣味のピアノ演奏も、一時期はレパートリーも増えたたため、私家盤でCDでもつくろうかと考えたほどの時期もあったが、今では、まず弾かなくなった。新しい電子ピアノもほしいのだけれど、今使っている30年物のヤマハPF-15には思い入れが深く、どこも悪いところはないので手放すわけにもいかない。

周囲が慌ただしくなり、なかなか落ち着いて音楽に向き合う時間が取れなくなった分、そうした時間がいかに貴重か、贅沢なことかを思い知らされている。

今後は少しずつでも、ノルマに縛られることなく、ブログを再開していけたらと思う。記事に書き起こすことで、自分の感動も新たになるし、この拙い記事を読んでくださる人がいることを心の支えにして。


管理人 拝


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2013/08/19

佐村河内守の世界展

旧盆が過ぎても、まだ暑さが和らごうとしない8月18日、東京ミッドタウン(東京都港区)ホールBで開催されている「佐村河内守 交響曲第1番≪HIROSHIMA≫の世界展」を見た。


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僕は2年ほど前、当サイトで佐村河内守(さむらごうち・まもる、1963~ )に関する紹介記事を書いたことがあるが、ここ最近、1年ほどの間に、彼に関するテレビ特集が何度も組まれ、大きな反響を巻き起こしたことは、すでにご承知のとおりである。「現代のベートーヴェン」とも呼ばれ、発売されたCDはクラシック音楽としては17万枚以上という異例の大ベストセラーとなっている。70年近い昔の原爆の惨劇を描いたとされるこの交響曲は、東日本大震災の被災地でも「希望のシンフォニー」として評判を呼び、瞬く間に全国に広まった。そして現在、この交響曲は、全国ツアーとして、今年6月15日のザ・シンフォニーホール(大阪市北区)を皮切りに、来年2014年にかけて、全国20箇所以上で開催されることになっている。現代の作曲家としては前代未聞のことである。


実は、この日の僕は、ミューザ川崎シンフォニーホール(神奈川県川崎市)において、交響曲や今回初演となる弦楽合奏曲『レクイエム・ヒロシマ』を聴くはずだった。そして演奏会終了後、この展覧会場を訪れるつもりでスケジュールを組んでいたのだが、僕自身のまったくの勘違いで、予約した17日の演奏会チケットを、なぜか18日の分だと勝手に思い込んでいたのだった。間違いに気付いたのは、18日に日付が変わった真夜中のこと。もはや時すでに遅し。手元に用意していたチケットは、一瞬にして紙くずと化してしまった。今回のミューザ川崎公演のチケットは、両日ともに完売だったので如何ともしがたく、あまりのショックに放心状態となった。

ツイッターのタイムラインでこの演奏会の反響を見ると、17日のコンサートは作曲者も会場に訪れ、演奏も大きな盛り上がりを見せ、感動の嵐だったというのを読むにつけて、本当に悔しくて仕方ない。コンサート以外の計画は準備万端だったが、「いまさら悔やんでも、どうにもならない」と自分に言い聞かせて、滅入る気持ちを奮い立たせた。そして、当初、夕方に行く予定だったこの展覧会を、昼一番に行くことに決めたのだった。

そんな経緯の中、出かけた今回の展覧会。会期は9日間(8月17~25日)と比較的短く、日曜日なので相当の混雑を覚悟していたが、昼間の会場内は僕を含めて10人程度という閑散さに拍子抜けしてしまった。よくよく考えてみれば、彼のファンたちは、まさに今、あのミューザ川崎へ演奏を聴きに行っている時間帯だと悟り、再び一人で沈み込む自分…。

交響曲がBGMで流れる会場はスポットライトを使ったパネル展示がほとんどだが、想像以上に見ごたえがあり、作曲家の経歴やインタビュー、作品リスト(全聾以降)の解説などに見入ってしまった。特に興味深かったのは、彼はスケルツォ楽章を「書くつもりがない」という事実。


 私の人生には苦しみのほうが多いので書けないのです。書かない、書けない、ではなく、降りてこない。(中略)陽気なスケルツォを書く意義を感じないのです。


それならば、ショスタコーヴィチやウォルトンのように陰気で邪悪なスケルツォを書けばいいじゃないかと、僕は勝手に思ってしまうのだけれども…。作曲家のポリシーなのかもしれないが、少し残念な気がする。

今回の展示内容は、大きく分けて次の3つに分けられる。 

(1)写真家の大杉隼平による写真パネル   
東日本大震災の被災地(石巻、女川など)での作曲家と被災者のふれあい、演奏会場で聴衆の万来の拍手に応える作曲家、新作『ピアノ・ソナタ第2番』を初演するソン・ヨルムの演奏姿、作曲者の母親とのツーショット、ファンとの交流の様子など。

(2)作曲家ゆかりの品々
マリア像、キリスト像、ベートーヴェンの胸像、母親からのウィーン土産の仮面、愛用の杖、木琴、幼少期に祖父から習ったという尺八、笛、作曲メモ帳、自筆譜、ベートーヴェンの『月光ソナタ』の自筆譜ファクシミリ、読み込まれてぼろぼろになった『運命交響曲』のポケットスコア、管弦楽のための『ヒロシマ』の手稿の一部など。

(3)玉川大学芸術学部の野本教授による『交響曲第1番「HIROSHIMA」』の詳細な曲目解説
譜例をふんだんに用いた、さまざまな角度からの解説は知的好奇心をくすぐられるが、音楽を専攻した人以外には、少し専門的すぎるのではないかという気もした。

他にも、交響曲の随所で重要なシグナルとして使われる鐘(テューブラーベル)を叩ける体験コーナー、映像による作品演奏の紹介(約30分)などが楽しめる。


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今回の展示会で僕が最も衝撃を受けたのは、テレビのドキュメンタリー番組でも紹介された作曲ノート(A5サイズ)である。赤色や黒色、時には青色のペンでびっしり書き込まれたメモ帳だ。今回は、実物の展示とともに、その全ページをコピーして、壁一面にレンガのように貼られている。その一枚一枚が細かい五線譜と音符で埋め尽くされていて、戦慄を通り越して美しささえ感じるほどだ。以前、テレビで見たときは、正直なところ半信半疑の気持ちもあったが、こうして真近で接してみると、これはすさまじいほどの執念である。不遇の苦しみを味わった作曲家としての苦闘の証(あかし)だと思わざるを得ない。「かつて作曲した、12曲の交響曲や8曲の弦楽四重奏曲などをすべて破棄した」という言葉も、俄然、真実味を帯びてくる。

広い会場内では、展示方法にも随所に工夫が凝らされていて、作曲家自身による交響曲の浄書スコア(30段)の原寸大コピー(第3楽章全ページ)が、台にずらりとレイアウトされていた。そのきわめて緻密かつ正確な筆致からは、作曲者の繊細な性格が見てとれる。

前日(17日)の夜、会場内で開催された野本教授によるスペシャルギャラリートーク「希望のシンフォニーのヒミツに迫る」の映像の一部が、会場の一角に設置されたモニターで流されていた。キーボードを使って演奏しながら、曲の魅力や込められたメッセージをわかりやすく、熱っぽく解説する野本教授の話は大変興味深く、リアルタイムで聴講できなかったことを残念に思う。

販売コーナーでは、各種CDやDVD、最近文庫化された著作『交響曲第1番』(幻冬舎文庫)、当展覧会の冊子(写真集)、Tシャツ(注文受付のみ)、ポストカードなどが並べられていた。僕も記念にいくつか購入したが、特にポストカード(作曲者の直筆サイン入り!)が数量限定で販売されていた。

なお、この展覧会の入場料および関連グッズの販売収益の一部は、東日本大震災の孤児・遺児のために寄付されるとのことである。


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会場の展示パネルに書かれたインタビューの内容によると、彼は今後の夢(計画)として、2曲の交響曲、そしてヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲を作曲したいとのこと。正統派の「クラシック音楽作曲家」として認められたいという意識が感じられる。また最近、作曲・初演された『ピアノ・ソナタ第2番』を含む新譜CDが日本コロムビアから10月に発売予定になっており、ぜひ今後の創作活動を楽しみにしていきたい。

本当は、もう少しじっくり時間をかけて観賞したかったのだが、一応、次の予定を組んでいたので、実質、1時間半ほどで会場を後にした。ほしかったグッズも手に入れることができて、まずまず満足のひとときだったのだが、実は何と!この日の夕方(午後6時ころ)、作曲者本人が会場を訪れ、サイン会や来場したファンとの撮影会があったことをツイッターで知った。

ああ、僕は何て運に恵まれない人間なんだろう。当初の計画どおり、夕方に行っていれば、直接話しができる機会があったかもしれないのに…。またも、ショックで落ち込んでしまった。

今週末にも何か特別イベントが企画されるようなので、この展覧会に出かける予定の方は、僕のような後悔をしないように願うばかりだ。


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※一部、敬称は省略させていただきました。何とぞご了承ください。


2012/12/29

名曲は愛車レガシィとともに

今回は話題をがらりと変えて、車とカーオーディオの話を。

僕の愛車は、スバルのレガシィ。それも第2世代のセダンRSだ。平成8年式だから、かれこれ17年になる。おそらくこんなに長く同じ車に乗っている人は、まずいないのではないだろうか。購入当時、まさかこんな長い付き合いになろうとは夢にも思わなかった。

このセダン(BD型)は、当時ほとんど売れなかったと記憶している。同種のツーリングワゴン(BG型)が爆発的にヒットし、一大ワゴン車ブームを巻き起こしたことを考えると極端な違いだ。当時は、とにかくワゴン車全盛時代で、セダン車自体が流行らなかった(第2世代のレガシィのツーリングワゴンとセダンの売れ行きは9対1くらい)。僕も周囲から「どうしてワゴンにしないのか」と、よく言われたものだ。


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僕がそれまで乗っていたのは、中古で買った日産のスカイライン(R31)。名車とはいっても、1800㏄の「エクセル」という低いグレードで、「走りの~ 」とは名ばかり。スペックや装備は上位クラスに比べて大きく見劣りした(タコメーターさえ付いていなかった)。買った当時、僕は車にほとんど興味がなく、ただ単に「安いから」という理由だけで選んだのだが、それが間違いだった。やがて車に興味が沸いてくると、いろいろ欲が出てくる。ステアリングやテールレンズを上位タイプ仕様に変えたり、わざわざ集中ドアロックなどの機能を付け加えようとしたり…。結果、多額のお金と時間を注ぎ込むことになってしまった。その反省を踏まえて、レガシィに買い換えたときは(少々費用はかかったが)後悔しないように、最上級グレードのRSを選び、好みのオプションをすべて付けた。おかげで、購入時からほとんど手を加えることもなく、現在も、ほぼノーマルのままだ。

今、改めて思うのだが、この車は本当に素晴らしい車だ。スタイルは抜群にかっこいいし動力性能も申し分ない。僕の目に狂いはなかった(←自慢話)。マイナーチェンジにより前期タイプの欠点が修正されていて、発売されたときは、まさに一目惚れ状態だった。モモ製のステアリング、ビルシュタイン製のショックアブソーバーも素晴らしい。

当時の最高馬力となる280PS(ネット値)を発生するツインカムターボエンジン。ツインターボの繋ぎにトルクの段差があるという噂(うわさ)だったが、僕はエンジンをブン回すことはないし、まったく気にはならなかった。ハイオク仕様ながら燃費はリッター9キロ弱で、ちまたで言われるほど悪くはないし、4WDながら重量も軽く、5ナンバーサイズで取り回しが良い。しいて欠点を挙げるなら、低速域のトルクが弱いことくらいだろうか(マニュアル車なので、慣れないとエンストしやすい)。

ラジエターに穴が開き、運転中にボンネットから煙(水蒸気)が立ちのぼったり、オルタネーターの故障のため、繁華街の路上で全く動かなくなったりするなど、今までいくつものトラブルを経験したが、走行距離が200,000㎞を経た現在も絶好調で走ってくれるのは、こまめにメンテナンスを怠らなかったおかげだと思う。買い替えのタイミングも何度かあったのだが、結局、何やかやで今に至っている。僕のこだわりである「外見はノーマルだが、中身は過激」という車を、最近は見かけなくなった。現行のレガシィは第5世代(2009年~ )だが、欧米市場向けに肥大化して、もはや乗りたい車ではなくなってしまった。誠に残念なことである。

長い年月を共に過ごすと愛着も増し、情がわいてくるのは自然のなりゆき。この車は、もはや単なる機械(道具)ではなくなっている。僕の青春時代(30~40歳代)の喜怒哀楽を見届けてくれたし、母の最期の時も助けてくれた。僕の生涯における「最高の友」であることは間違いない。今後の目標は、走行距離222,222㎞達成! そして、その瞬間を写真に収めること。(111,111㎞や200,000㎞達成時などの写真は記録してある)


写真は、123,456km達成時の写真。トリップメーターも7890を指しているのに注目!

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もちろん、これからもずっと乗り続けたいという気持ちはあるが、やがて部品の供給もストップし、手放さなければならないときが来るのだろう。思えば、あんなによく見かけた同種のツーリングワゴン(BG型)も、今では、めっきり見かけなくなった。別れは刻一刻と近づいている。手放すときは、ピカピカにして送り出してやりたい。でも泣くだろうなあ、絶対に…。


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僕は通勤をはじめ、外出時の移動手段は、ほとんど車を利用しているので、音楽を聴くのも車の中が圧倒的に多い(購入したCDのほとんどは、車内で聴いている)。このレガシィは、純正オーディオも売りのひとつで、「スーパー・リアル・フォーカス・サウンド・システム」と呼ばれるもの。ケンウッド製のヘッドユニットは、DSP内蔵CDコンビステレオ(FKR-GX99)である。車内には前後左右計8ヵ所にスピーカーが設置されている。音場はこのレガシィ用にセッティングされ、イコライザー機能を細かく調整をすれば、ホームオーディオと遜色ない(いや、それ以上と言ってよいかも)良い音がする。ダイナミックレンジの広いクラシック音楽を再生する場合も同様で、まるでコンサートホールにいるようなサラウンド感が体感できるのだ。


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カーオーディオは、1990年代に入ってから劇的に音や性能が良くなった。CDプレーヤーやグラフィックイコライザーなど、製品も充実し市場が一気に拡大した。人によっては低音用のサブウーファーを取り付けたり、高出力に対応するためにドアの遮音や振動補強(デッドニングという)をすることもあるが、僕のシステムは、前述のとおり、ほとんど手を加える必要はなかった。カセットテープが再生できるのもありがたい。音楽だけでなく英会話のテープなど、過去の「資産」を良い音で聴くことができる。CD-RやCD-RWの読み取り機能に対応していないことは残念だが、この車が発売された1996年当時は、CD-R自体が記録メディアとして普及していなかったことを考えれば致し方ない。

ヘッドユニットの不具合は、これまでCDプレーヤーのレーザーピックアップを2度交換したくらい。スピーカーは、ドアのデッドニングを施していないためか、ピアノやパイプオルガンの音を再生する場合、楽音にまとわりつくノイズが気になる。(弦楽器やオーケストラの場合、さほどノイズが気にならないのは音の成分の違いか…)。5年ほど前、いよいよノイズが目立つようになってきたので、車検時にディーラーで点検してもらったら、スピーカーのコーンの周囲が完全に破れていることが判明し、即交換した。おかげで耳障りなノイズは減ったのだが、最近また同様の現象が出てきたような気がする。しかし、今さら新しいデッキやスピーカーに入れ替えるのも、ためらいがあるし、今は何とか、だましだまし聴いているといったところだ。

愛車レガシィRSとの別れも、そう遠くはないような気がするが、次回、車を買い替える場合も、やはりカーオーディオにはこだわりたいと思っている。最近はカーナビゲーションや地上デジタル放送、ブルーレイ再生機能など、ビジュアル機能がトレンドの中心で、オーディオ機能については、あまり注目されなくなった気がする。ハードディスクの発明・普及によりCDチェンジャーはあっという間に過去の遺物となり、CDからお気に入りの曲をカーナビのハードディスクにダビングしたり、ipodなどの音楽プレーヤーを接続して聴くスタイルが主流になりつつある。

ドライブしながら、カーオーディオから流れる名曲が美しい景色とシンクロしてゆく奇跡のような瞬間を体験することがある。これは他に代えがたい至福のひとときといってもよい。

愛車と過ごす時間は長く、僕にとって、これからも車の中は大切なリスニングルームであり続けるだろう。


【参考映像】

ツーリングワゴン(BG型)のCMです。名優メル・ギブソンを起用した30秒もの(4パターン)です。特に紅葉の映像が美しい!


2012/10/21

わが青春の「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」

今年の7月末、日本コロムビア株式会社から、YAMATO SOUND ALMANACシリーズの1枚として「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」がCDで発売された。これは、ファンにとって思いがけない慶事であった。なぜならこのアルバムは、最近まで手に入れることが困難だったからだ。

僕の記憶が確かならば、この「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」は、かつて90年代半ばにCD化されたこともあったが、その後、関係者の間で起こった著作権をめぐるトラブルに起因してか、廃盤の憂き目に遭ってしまった(ヤフオクなどでは、中古品が高値で取引されていた)。 何年か前に発売された、ン万円もするCD-BOXの中に、リマスター化されたこのアルバムが含まれていたが、簡単に手を出せる代物でなかったことは言うまでもない。

やむなく僕は、昔、購入したカセットテープからTASCAMのPCMレコーダー経由でパソコンに取り込んで聴いていた。今回、リマスター・Blue-spec盤として音が一層クリアになり再発売されたことは、本当に喜ばしい。

僕が音楽にのめり込むようになるきっかけは、小学生のときに学校の音楽室で聴いたクラシック音楽だったことは間違いないけれど、好きな音楽は、ジャズやロック、ポピュラーなど多岐にわたっている。僕が特定のジャンルにこだわらず幅広く聴くようになったのは、今回取り上げる『宇宙戦艦ヤマト』の音楽の影響が大きい。

『宇宙戦艦ヤマト』は、1974年に放送されたテレビアニメ(全26話)である。僕はそれをリアルタイムで見ていたわけではなかったが、周囲の友人たちの噂話で気にはなっていた。やがて僕も夢中になるのだが、それは1977年に映画版の公開に合わせて発売された、この「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」を聴いたことがきっかけだった。

このアルバムは、アニメの音楽を担当した作曲家の宮川泰(みやがわ・ひろし、1931~2006)が、そのBGMをオーケストラ用に編曲・再構成し、特別編成のオーケストラ「シンフォニック・オーケストラ・ヤマト」を指揮、録音されたLPレコードである。


「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」(日本コロムビア)

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この音楽集から受けた影響は、今思うと相当なものだったと思う。当時、もっぱらクラシック音楽を聴いていた僕にとって、交響組曲というスタイルは大いに興味をそそられたし、ヤマトの音楽を象徴する有名なスキャット(川島和子の名唱!)をはじめ数々の美しいメロディーが、大編成のオーケストラで奏でられるのを聴いて、「ああ、こんな世界もあるんだ…」と衝撃を受けたことを記憶している。

とにかく、宮川泰のメロディーメーカーとしての才能は抜群だと思う。今でも、その認識は変わらない。特に僕の琴線に触れたのは、ストリングスで歌われるメロディーの美しさ。6曲目の「追憶」や最後12曲目の「スターシャ」は、まさに絶品だ。

実を言うと、僕は当時、この『宇宙戦艦ヤマト』の映画を見ていない。お金(小遣い)がなかったせいもあるが、確か当時、ラジオの深夜放送でヤマトの特集番組が何度か組まれて、プロデューサーの西崎義展とか、声優の富山敬や麻上洋子などが見どころを解説(実演)していたのを、ラジオにかじりつくようにして聴いたものだった。一方で、その音楽に関しては、何種類ものLPレコードやカセットテープを購入し、熱心に聴き漁(あさ)っていた。


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そして次の年、続編映画である『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の公開と同時に発売された音楽集(サウンドトラック)を購入したことで、僕の「ヤマト熱」は頂点に達することになる。

このアルバムは、前作のように交響組曲とは記されていないが、「序曲」から始まる12曲で構成されていて、実質、交響組曲と呼んでも差し支えないだろう。第2曲「白色彗星」では、ヤマトの敵となる悪の帝国の不気味さ、圧倒的な力がパイプオルガンで表現され、第5曲「テレサよ永遠に」や第6曲「想人(おもいで)」では、前作同様、魅惑的な「宮川節」に酔いしれたものだ。

中でも最も心を動かされた曲が、11曲目の「大いなる愛」。曲の冒頭、ピアノからストリングスに引き継がれる切なく美しいメロディー。オーボエのソロをきっかけに曲は長調に変わり、あこがれや希望を表す愛のメロディーが、まるで虹のアーチのように歌われてゆく。当時、まだ青春の入り口にいた僕は、この曲を聴きながら、何かよくわからないけど胸が締め付けられるような感覚を覚えたものだ。※このアルバムも、今年9月に上記シリーズで再発売となった。


「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 音楽集」(日本コロムビア)

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映画のストーリーも、敵との戦いの中で次々とヤマトの乗組員が死に、最後には主人公が人類の未来のために犠牲になって敵の戦艦に突っ込んでいくという「日本人好み」の展開で、大ヒットを記録。一大ヤマト・ブームを巻き起こした。しかし、直後に放送されたテレビシリーズでは、主人公をはじめ、味方のほとんどが「死なない」ストーリーに変更(改悪?)され、その後もシリーズが継続されることになった。

このあたりから、僕自身の熱も徐々に冷めはじめた。1979年にテレビで放送された『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』や、翌1980年の映画『ヤマトよ永遠(とわ)に』あたりまでが、僕の記憶にあるヤマトといえようか。しかし、物語を彩った名曲の数々は消えることなく心に残り続け、僕の音楽人生に深い影響を与えている。(数年前に公開された実写版の映画も見たし、サントラも購入している)

クラシック音楽しか聴かない人や『宇宙戦艦ヤマト』を知らない世代の人たちも、今回の再発売を機に、ぜひ、このオーケストラで奏でられる名曲の数々に触れてみてほしいと思う。世の中には、まだまだ未知の音楽があふれ、素晴らしい世界が無限に広がっていることを実感していただけるに違いない。


【参考音源】

「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」から「序曲」


※本文中、関係者の敬称は省略させていただきました。ご了承ください。

2012/10/06

ドビュッシーを取り巻く芸術家たち

先日、ブリヂストン美術館(東京都中央区)で開催されている企画展「ドビュッシー、音楽と美術」展を鑑賞した。

この展覧会は、当美術館開館60周年とクロード・ドビュッシー生誕150年を記念して開催されるもので、パリのオルセー美術館・オランジュリー美術館との共同企画。東京に先立ってパリで開催され、大変な好評を博したという。


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この美術館を訪れるのは今回が初めてだが、東京駅八重洲口から歩いて10分程度の位置にある。玄関を入ると受付があり、チケットを購入しエレベーターに乗って2階へ。展覧会場は基本的にワンフロアで、10の展示室のうち8つを今回の企画展で、残る2室を当館所蔵のコレクションを見ることができる流れになっていた。僕は平日午後に出かけたのだが、場内はかなりの賑わい。その来館者のほとんどが中年以上の女性だったところに、この国の「ありよう」がうかがえる。

一人の音楽家の生涯と作品をテーマに、そのゆかりの品々を集めた展覧会を鑑賞するのは、おそらく僕にとって、初めてではないかと思う。絵画や彫刻をはじめ、さまざまな作品約150点が一堂に展示され、たまらなく興味をそそられる内容になっている。19世紀末のサロンを通して多くの画家たちと交流し、「私は音楽と同じくらい絵が好き」と公言してはばからなかったドビュッシーだからこそ成立した企画といえるのかもしれない。

ドビュッシーの音楽には、かなり親しんでいるつもりでも、やはりベートーヴェン・ブラームスをはじめとするドイツのクラシック音楽に比べると、聴く頻度が少ないと認めざるを得ない。管弦楽や室内楽、ピアノ曲や声楽曲まで数多くの作品を耳にし、CDなどを所有しているとはいっても、日ごろは『牧神の午後への前奏曲』や交響詩『海』などに偏りがち。音楽史に果たした彼の偉大な功績を、歴史的事実として知っていたとしても、その内容を理解しているとは、とても言えない。今回の企画展では、そうした彼の芸術の神髄について、より深く触れることができたらと思った次第。

会場には、数多くの絵画が展示されていたが、思いがけずうれしかったのは、僕が大好きなラファエロ前派の画家ダンテ・ガブリエル・ロセッティの作品が、(習作ではあるが)展示されていたこと。ロセッティの絵画が、ドビュッシーの音楽の着想源でもあったことを知り、親近感がわいた。


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「印象派と象徴派のあいだで」というサブタイトルを持つこの企画展では、もちろんルノワールやドガをはじめ、ドビュッシーを取り巻く画家たちの作品も大きな目玉である。とりわけモーリス・ドニの作品が数多く展示されていたが、この『木の葉に埋もれたはしご』という油彩は150号という巨大なもので、その構図や独特の色彩に感銘を受けた。


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今回、特に認識を新たにしたのは、ドビュッシーが、サロンなどに出入りする中で、いかに多くの芸術家や知識人と交流を持ち、優れた美術や文学作品に接していたかということである。印象派の画家、浮世絵をはじめとする日本文化、メーテルリンクなど象徴派の詩人などとの出会いが与えた多大な影響。ドビュッシーの音楽とは、こうした出会いがインスピレーションの源となり、プリズムの光のように交錯する中で生まれた「結晶」のようなものなのだろう。


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ドビュッシーは、彼の音楽を「印象派」と呼ばれるのを嫌ったといわれる。若き日に交響組曲『春』をフランス・アカデミーから「漠然とした印象主義」と酷評されているし、「印象」という言葉から連想される感覚的・情緒的な概念に抵抗があったのかもしれない。若いころから西洋音楽の理論から逸脱し「反逆児」と呼ばれた彼のこと、特定のカテゴリーで括(くく)られることに反発したに違いない。その反骨精神こそが、彼自身の創作活動の源泉でありアイデンティティであったからだ。


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そうした姿勢は、傑作として名高い歌劇『ペレアスとメリザンド』を残しているのにもかかわらず、「ペレアスだけをもって、未来の世代の人々に厳しく判断されたくない」と語り、死の直前まで新たな歌劇の作曲に取り組んだということからも伺える。常に新しい音楽の世界を追求した、彼ならではの言葉だといえよう。

1917年、54歳という働き盛りで亡くなってしまった彼が、その先に目指した世界はどのようなものだったのか。未完のまま残された歌劇『アッシャー家の崩壊』の断片を聴くと、全音音階を駆使して、人の心の奥底に潜む得体の知れない感情や恐怖を表現し、新しい舞台芸術の世界を切り開こうとしていた姿が垣間見える。また一方で、晩年の『ヴァイオリンソナタ』などでは、より簡素で新古典主義的な表現に向かっていた。

彼の死後、現代音楽の扉が開かれるが、ドビュッシーがメシアンやブーレーズをはじめとするフランスの作曲家に与えた影響はきわめて大きい。それは日本でも同様で、武満徹はドビュッシーに対する賛辞を惜しまなかったし、晩年に作曲した2台のピアノとオーケストラのための『夢の引用(Say sea, Take me!)』では、交響詩『海』の一節が「夢」の象徴として幾度も引用される。

さて、今回の展覧会を通して、僕自身、ドビュッシーへの理解を深めることができたかどうか。(僕の能力不足は別として)相も変わらず何か「つかみきれない」感覚がぬぐえない。つまりはドビュッシーという存在が、いかに特定のカテゴリーに収まらない作曲家であったかということの証拠なのかもしれない。


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余談ながら、もう一つ。

当企画展の図録には、多くの美術関係者の寄稿が掲載されているが、彼らの博識には驚くばかりだ。ドビュッシーに関する見識の深さ! 美術家というものは、音楽の分野においても、かくも広く深い教養を持っているものなのか…。わが身に照らして、向学の糧としたい。


帰りすがら、最近リニューアルされた東京駅丸の内駅舎を見に行った。ちょうど何かのイベントが行われた直後のようで、記念写真を撮る人でにぎわっていた。それにしても創建時の姿に復元された駅舎の壮観なこと。東京に出かける楽しみが、またひとつ増えた。

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【参考映像】

展覧会場で、何枚も写真が展示されていたニジンスキー振付による『牧神の午後への前奏曲』。
初演時、スキャンダルとなったラストシーンも必見です!

2012/09/15

日本の女性作曲家たち ~吉田隆子の特集番組を考える~

先日、NHKのETV特集で放送された『吉田隆子を知っていますか~戦争・音楽・女性~』という番組を見た。

わが国のクラシック音楽史における重要な作曲家の一人、吉田隆子(よしだ・たかこ、1910~1956)に焦点を当てた番組で、彼女を「女性作曲家の草分け的存在」と位置付け、次のように紹介していた。


「大正・昭和の戦争が迫りくる時代、男性中心の音楽界で差別と闘いながら民衆のための音楽(プロレタリア音楽)を掲げ、同志らと音楽活動を行い、聴衆から喝采を浴びた。迫りくる戦争に抵抗し、思想犯として特高警察に4度も拘留され健康を害したが、その信念を曲げることはなかった。戦後、創作活動を再開するも、46歳の若さで亡くなり、死後は忘れ去られてしまった」


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僕は、これまでいくつかのCDで吉田隆子の作品を聴き、書籍などを通して、その主な功績についても承知しているつもりだった。今回の番組は、彼女と交流のあった関係者の生の証言を交えながら、彼女の人となりを見つめた興味深い内容だったが、同時に、その取り上げ方にいささか違和感を感じたのも事実である。

そこで今回は、この番組で紹介された吉田隆子とともに、日本の女性作曲家について考えてみたい。


吉田隆子とは誰か

そもそも吉田隆子とは、どのような人物だったのか。以下、おおまかな略歴を示す。


陸軍学校校長や陸軍中将を歴任した吉田平太郎の5人兄弟の次女として、東京目黒で生まれる。兄には映画評論家として活躍した飯島正がいる。
日本女子大付属高等女学校に通いながらピアノを学ぶ。卒業後、ピアニストを志すも、やがて作曲に興味を抱き、橋本國彦や菅原明朗に師事。またフランス語学校の仲間とともに人形劇団プークの創設に加わり、その音楽を担当する。
新劇の影響で左翼思想に共鳴し、プロレタリア音楽同盟(PM)に参加、その活動の中で生涯の伴侶となる久保榮と知り合う。(彼はプロレタリア演劇同盟などの中心的存在であった)
彼女は、演劇用の付帯音楽や室内楽曲、歌曲などの作曲活動とともに、労働者や民衆のための音楽を志向し、独自の楽団「楽団創生」を設立。ムソルグスキーやバルトークなどの紹介に努めた。
太平洋戦争のころは、反戦運動により長期にわたり留置所に拘留されたことが原因で腹膜炎を起こし病臥。
戦後、病気が回復し、代表作となる『ヴァイオリンソナタ 二調』を作曲。
晩年は、交響曲や歌劇の作曲に取り組むが、1956年、ガン性腹膜炎のため逝去。享年46歳。
生涯に23曲の作品が残されている。


番組の後半では、彼女の集大成ともいえる『ヴァイオリンソナタ ニ調』が演奏された。このソナタは、番組内で「初演以来、忘れ去られた幻の曲」として紹介され、今回、東京音楽大学の協力で再演された折の映像(この番組の収録用か?)が流れた。しかし作品は、すでに10年以上前に荒井英治のヴァイオリン、白石光隆のピアノにより録音され、CDも発売されている。


昭和のヴァイオリン・ソナタ選(ナミ・レコード)


Jviolinsonatas


このソナタは、伝統的な3つの楽章からなる作品。夫との共作であった演劇『火山灰地』の付帯音楽が引用され、第1楽章や終楽章では彼女の熱い情熱の吐露が随所に聴き取れる。また、「レント・ドロローゾ(ゆっくりと苦しげに)」と指示された第2楽章の中間部や、終楽章の後半に登場する日本風の叙情的なメロディーが印象的だ。


闘いの連続だった人生

ドキュメンタリー番組の制作にあたっては、企画・構成力がとりわけ重要で、それを裏付けるための取材を重ね、番組を編集する。今回は1時間という制約の中で、十分に意を尽くすのは容易でないことは理解できるが、だからといって特定の価値観に縛られシナリオを構成することは、認知的バイアスがかかるおそれがあり、見る者に誤解を生じさせかねない。

今回、特に番組の随所にフェミニズム的、共産主義的な価値観に基づくと思われる表現がいくつも使われていることが気になった。

 「日本に限らず世界の音楽界は、男女の差別が多い」
 「女と男の新しい関係を模索」
 「作曲は男、女はせいぜい演奏」
 「男性社会の音楽界で差別と闘いながら生きた」
 「虐げられし女性に捧げる音楽」云々。

差別との闘い、戦争との闘い、そして病魔との闘い…彼女の人生は闘いの連続であり、志半ばで倒れ歴史に埋もれた、そういうシナリオに基づいて番組を組み立てようとした意図は明らかだ。

こうしたストーリーの流れは、番組に何度も登場した小林緑国立音楽大学名誉教授の意図とも合致するのであろう。彼女はもともと「フェミニスト音楽研究者」を自認する研究者で、独自のジェンダー思想に基づいて、音楽界における女性差別と歴史に埋もれた女性作曲家をテーマに研究している人物である。  
※詳しくは、彼女の著書やホームページをご覧いただきたい。


女性作曲家の先駆者たち

さて、今回の番組では、吉田隆子が日本の女性作曲家の草分けとして取り上げられていたが、それを言うのなら、幸田延(こうだ・のぶ、1870~1946)を真っ先に挙げるべきであろう。


Koudanobu


東京に生まれた彼女は、幼少期から邦楽を学び、音楽取調掛(後の東京音楽学校、現在の東京藝術大学音楽学部)を経て、1889年、史上初の官費音楽留学生として、ボストンのニューイングランド音楽院やウィーン音楽院で学んだ。(ウィーンでは、ヴァイオリンをヨーゼフ・ヘルメスベルガー、作曲をロベルト・フックスといった著名な音楽家に師事)帰国後は東京音楽学校教授として、瀧廉太郎や山田耕筰、三浦環らを育てた。まさに日本の西洋音楽事始(ことはじめ)において忘れることのできない人物である。

なお、妹の安藤幸も東京音楽学校教授、ヴァイオリニストとして活躍。文豪、幸田露伴は、彼女の兄にあたる。若いころ、未完ながら2曲の『ヴァイオリンソナタ』を作曲していて、これは近年、池辺晋一郎が校訂・補筆してCD化されている。これは日本人初の器楽作品であることは言うまでもない。


日本女性作曲家の歩み ヴァイオリン作品(ミッテンヴァルト)


Jwviolinsonatas


また吉田隆子のほぼ同世代で、沖縄生まれの金井喜久子(かない・きくこ、1906~1986)を忘れてはならない。


Kanaikikuko


沖縄の宮古島で生まれた彼女は、県立第一高等女学校を卒業後、1933年、東京音楽学校の作曲科に初の女性として入学。呉泰次郎、下総皖一、尾高尚忠らに作曲を学んだ。20歳のころから『琉球舞踊組曲』や『琉球狂詩曲』など、沖縄の伝統や民謡に基づく数々の作品を発表し、民族音楽派の草分け的存在となる。彼女の作品は、過去の録音(『交響曲第1番』)の復刻とともに、新たに管楽アンサンブル曲やピアノ曲が録音・CD化されている。

彼女は戦前、東京交響楽団によって自作の管弦楽作品を発表している。今回の番組では、吉田隆子が独自のオーケストラである「楽団創生」を立ち上げた理由を「女性作曲家に(作品を)発表する場はなかった」ためとしているが、これは誤りで、時代は多少前後するが、戦前、女性の作曲家の作品が取り上げられる機会が閉ざされていたわけではない。あたかも女性のつくった曲は性差別が原因で演奏できなかったというような、誤解を生じさせる表現は慎むべきであろう。


金井喜久子ピアノ曲全集(キングインターナショナル)

Kanaikikukocd


他にも、山田耕筰と同門の松島彝(まつしま・つね、1890~1985)や日本人女性として初の国際コンクール入賞者である外山道子(とやま・みちこ、1913~2006)がいるし、吉田隆子の逝去と前後して、当時、東京藝術大学で学んでいた原嘉壽子(はら・かずこ、1935~)が頭角を現してくる。彼女は創作オペラにおける第一人者で、その精力的な作曲活動は広く知られている。

そして現在では、木下牧子(きのした・まきこ、1956~)、田中カレン(たなか・かれん、1961~)、藤家溪子(ふじいえ・けいこ、1963~)をはじめ、きら星のごとく優れた女性作曲家たちが創作活動を繰り広げている。(ジャズやポップスの世界における、女性の活躍ぶりはご承知のとおりだ)


邦人作曲家、不遇の時代

確かに吉田隆子の活躍した時代、太平洋戦争前夜という当時の社会的状況において活動を続けるには、多くの困難が伴ったであろうことは想像に難くない。だが、何もそれは芸術家に限ったことではない。皆それぞれが時代に翻弄されながら、必死に生きていたのだ。

日本の作曲界においても、戦前戦後期の作曲家や作品に陽の目が当たるようになったのは、ようやくここ最近、20年程度のことではないだろうか。

それまで、日本のクラシック音楽の作曲家で広く知られていた人物といえば、せいぜい山田耕筰くらい。現在、盛んに取り上げられている伊福部昭でさえ、現代音楽全盛当時の作曲界において無視され続け、1980年代前後のリバイバルを待たなければならなかった。貴志康一や大澤壽人、須賀田磯太郎なども戦争期の混乱の中で忘れ去られていた。ことさらに女性作曲家だけが不遇を託(かこ)っていたわけではない。女性だから「意図的に無視されていた」「闇に葬り去られてしまった」といったような一面的なレッテル貼りは、物事の本質を見失うだけだ。

19世紀のヨーロッパにおいても、メンデルスゾーンの姉ファニー・ヘンゼルやアルマ・マーラーなどのように、女性が作曲活動を続けることへの風当たりが強かったのは事実だろう。しかし、残された曲の評価とそれとは別次元の話だ。男性の曲だからもてはやされ、女性だからダメだったなど、まったくもって何をかいわんやである。純粋に曲として聴衆の感情に訴える魅力があるかどうかが重要で、性別は関係ない。作曲という世界は、そんな甘いものでないことくらい素人だって理解できる。


吉田隆子の願い

番組制作者の意図や、「差別」「闘い」といった不穏当な言葉から連想する悲壮で勇ましいイメージとは異なり、今回の番組から受ける吉田隆子の印象は、さほど悲劇的な色合いが感じられない。むしろ、ある種のすがすがしささえ感じられるほどだ。それは、番組に登場する関係者の話しぶりからも伺える。

女優の奈良岡朋子をはじめ、彼女を知る関係者の証言の数々からは、過激な女性闘士というイメージではなく、むしろその反対、和服を着こなし、夫を立て静かに支える、凛とした佇(たたず)まいの日本女性の姿が浮かび上がってくることは新鮮な驚きだった。

裕福な家庭に生まれ、音楽を学び、自由を謳歌し、志を同じくする多くの仲間とともに人形劇団の立ち上げに関わったり、自ら「楽団創生」を創設し作品を指揮したり、彼女のよき理解者であり夫となる久保榮との出会い、そして演劇の共同制作など。波乱万丈の短い生涯ではあったが、音楽家として、そして何より一人の人間として、恵まれた人生だったのではないか。


Yoshidatakako1


吉田隆子にピアノを学んだという音楽評論家の小宮多美江は、番組の中で、「(彼女の願いは)日本人が本当に感動できる音楽をつくりたかった。それに尽きると思う」と語っているが、まさにそのとおりだと思う。

日本人作曲家の先駆者の一人として、激動の時代の中で自らの役割を自覚し、当時の音楽界の現状を憂いつつ、ひたすら努力を重ねた音楽家。今回の取り上げ方にはいくつかの疑問点・問題点はあるが、優れた先人の功績に光を当て、再評価をうながすことはとても意義のあることだと思うし、この番組を通して、吉田隆子という作曲家について詳しく知ることができたのは、大きな収穫であった。

番組の最後に、吉田隆子の言葉が語られた。

日本の音楽は、世界的に見ても立ち遅れている。(中略)
今こそ世界の音楽史から、この立ち遅れを取り戻さなければならない。 

戦後、齋藤秀雄、井口基成、吉田秀和らによる「子どものための音楽教室」をはじめ、才能と志のある人たちによって音楽教育が飛躍的に進み、多くの優れた音楽家を輩出し続けた結果、今や日本は世界に冠たるクラシック音楽大国に成長した。もちろん課題もあるが、吉田隆子をはじめ戦中戦後の音楽家の先達が抱いた切なる願いは叶えられ、大きく花開いたといえるのではないだろうか。


【参考文献】
『日本の作曲20世紀』(音楽之友社)


※敬称は省略させていただきました。ご理解のほど、よろしくお願いします。

2012/08/15

言い訳なぞを、ひとしきり

ここしばらく、ブログの更新が滞りがちである。

最近は、月1で記事をアップするのが精一杯。昔は、もっとすらすら書けたのにと思う。ネタが尽きたわけではない。書きたいことは山ほどある。むしろアイデアが次々とわいてきて、困るくらいだ。

原因は、もちろん自分の中にある。僕は文章を書くのが嫌いというわけではないが、頭の中ではあれこれ考えていても、なかなか原稿に落とそうとしない。加えて自己批判が強く、一つの記事を仕上げるまでの準備や試行錯誤、推敲は果てしない。また最近は、記事の分量が膨張し、1年前に比べると倍以上。どうしてこうなったかは分からない。

「早く書かなければ」「仕上げなければ」と、焦りばかりが先行し、大きなストレスになってしまっているのが、われながら情けない。


Kagononakanomushi


ブロガーの中には、かなりの分量の記事をコンスタントに掲載している人がいる。しかも、内容が充実していて読み応えがあるのだから、本当に尊敬してしまう。もちろん中には、今日の出来事を薄く気楽に書いている人もいるが…。(それがブログの本来の姿かも)

しょせん自己満足だとはいえ、自分なりに使命感を持って始めたつもりである。あってもなくても、どっちでもいいような半端な記事は掲載したくない。ウェブという不特定多数の人の目に触れる場所で、自分の考えを述べる以上は、その発言に責任を持たなければならないし、それが読んでくれる人へのエチケットだ。

昨年、ツイッターを始めたことも要因のひとつかもしれない。あれは140字という「ありがたい」制約もあって、起承転結など考えず、けっこう気楽に、つぶやくことができるし、やり方によってはブログ並みに深く書き込むこともできるので、どうしてもそちらに気持ちが向いてしまう。その結果、ブログがホームページ化し、ツイッターがブログ化しているのが現状なのだ。

などと、言い訳とも取れる記事を書いてしまった。

ご覧いただいている皆様、いつも本当にうれしく励みになります。この場を借りて、厚くお礼申し上げますm(_ _)m


管理人 拝

2012/06/16

ブルックナーの遺言(後編)

まもなく私は神様の前に立つことになるが、一生懸命やらなければ神様の前に行けないだろう。

年老いたブルックナーは、マーラーにこう語ったという。

ブルックナーの『交響曲第9番ニ短調』は、「神に捧げるため」に作曲された。信仰心の篤(あつ)かった彼にとって、作曲した作品全てが愛すべき神のためのものだったともいえるが、この交響曲の完成にかける想いはひとしおだったようだ。だが結局、それを遂げることなくブルックナーは生涯を終える。

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前回でも述べたとおり、この『第9番』の第4楽章は、一般には少しのスケッチしか残されていないと伝えられてきた。しかし、関係者による研究が進むにつれ、実際は多くの総譜や略譜等がつくられ、すでに全体の構成は出来上がっていたことが明らかになる。
※かつては、フィナーレにとりかかった時期は死の前年(1895年)とされ、「わずかなスケッチしか残されていない」という説の根拠となった。

ブルックナーが亡くなった時、彼の部屋には通し番号が記された「ボーゲン」と呼ばれる2つ折り4面の五線譜が約40枚残されていたが、その半分近くが散逸し、いくつかは現在も失われたままである。ブルックナーの遺産管理人であったフランツ・シャルクやフェルディナンド・レーヴェ(この交響曲の初版を作成、初演した人物)らの故意あるいは不注意によって多くの自筆譜が売却されたり、友人たちが記念品として持ち帰ったという。その結果、フィナーレの貴重な楽譜も、世界中に散らばってしまった。レーヴェは、フィナーレに関して口を閉ざしているが、こうした不手際が世間に広まり、非難を受けることを避けたかったためと思われる。

1887年8月、『交響曲第8番ハ短調』作曲中に『第9番』のスケッチが開始されるが、『第8番』の初演をめぐるトラブルが発生し作曲が中断。その影響で、初期の交響曲やミサ曲など大幅な改訂作業に追われることになる。1891年、ようやく作曲が再開されたが、同年11月のウィーン大学における最終講義では、「もしこの交響曲が未完に終わった場合は、フィナーレのかわりに自作の『テ・デウム』を演奏してほしい」と語った。前年、激しい呼吸困難の発作を起こし、健康上の不安を抱えていたため、こうした発言が出たのであろう。

当時のブルックナーは、ウィーン大学を辞め、ウィーン音楽院からの年金に加え、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の計らいで名誉年金が支給されることになり、十分に作曲に集中できる環境が整っていたはずで、全ドイツ音楽連盟の音楽祭の委嘱を受けて『詩篇第150番』を作曲したり、ウィーン男声合唱協会のために『ヘルゴラント』を作曲したりという日々が続く。そして1894年末の段階で、第1楽章から第3楽章が「ひとまず」完成され、フィナーレについても「大部分」を書き終えていたといわれている。

その後もフィナーレの作曲は断続的に続けられたが、健康状態は悪化の一途を辿り、ついには自力で階段を上り下りできなくなってしまう。それを知った皇帝の計らいで、1895年7月、ベルヴェデーレ宮殿内の管理人用住居を間借りし移り住む。弟のイグナーツや妹のカティらは、身体の不自由な兄を献身的に支えた。


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1996年10月11日。この日は朝から、爽やかな秋晴れだった。ブルックナーは体調も良かったため、朝食を取り、ピアノに向かってフィナーレの楽譜に手を入れていたところ午後3時ころ容態が急変、そのまま静かに息を引き取った。そしてこの交響曲は、未完のまま残されることになった。

誠に残念なことといわざるを得ないが、しかし、少々腑(ふ)に落ちない点もある…。

『交響曲第7番ホ長調』は完成まで約2年、続く『第8番』は(初稿の完成まで)約3年である。一方、『第9番』は、作曲に着手してから彼の死まで約10年。次々と問題が彼の身に降りかかり、作曲の筆が遅々として進まなかったとはいえ、残りの人生をかけて完成に力を注いできたという割には、いささか作曲の筆が遅すぎはしないか…。こんなに時間をかけても最後まで書き終えられることができなかったのはなぜか。ブルックナーの演奏に定評のある大指揮者ギュンター・ヴァントは、「ブルックナーは、フィナーレを完成させる自信がなかったのだ」と語っているが、今となっては真相は闇の中だ。


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さて、今回の本題である未完の第4楽章に話を移そう。

このフィナーレについては、残された草稿を基に、今までいくつかの補筆完成版が登場している。代表的なものは「キャラガン版」と「SPCM版」の2つ。前者は、ブルックナー研究家のウィリアム・キャラガンによる補筆完成版で、これまで東京ニューシティ管弦楽団をはじめ、いくつかの演奏がCD化されていて、先ごろもゲルト・シャラー指揮&フィルハーモニー・フェスティヴァによる2010年改訂版のCDが発売されたばかりである。

それらの演奏を聴いた限りでは、楽想の性急な展開や深みのないオーケストレーションなど、ブルックナーらしからぬ箇所が多いと感じた。純粋に補筆者の創作となる終結部は、『第8番』のフィナーレに倣ってアダージョ楽章の主題を引用するアイデアは良いとしても、あまりにも楽天的な楽想(たとえばトランペット)には、強い違和感を覚えざるを得ない。僕は、キャラガンのアメリカ人気質が裏目に出てしまった結果だと考えている。

その点、今回、サイモン・ラトルが取り上げたSPCM版は、4人の音楽家、研究者によって、ブルックナーが残した資料を最大限に尊重した改訂が進められたプロジェクトで、ラトルによると、このフィナーレの奇妙な箇所は全てブルックナー自身の手によるものだという。多用される不協和音は、作曲当時、彼を取り巻いていた様々な出来事が反映されていて、いかにもブルックナーの心の葛藤を表しているように聞こえる。

この版は、オーケストレーションをはじめ、補筆の割合が増える展開部以降の音楽の流れも違和感が少ない。全くの創作となる終結部については、どの補筆版においても、いかに完結させるかが大きな問題となる。「愛すべき神に捧げる」この交響曲をニ長調(神を表すDeus)で終えることは、おそらく作曲者も望んでいたことだろうが、この版では、なかなか説得力のある手法が採られている。


第2楽章の…ハレルヤをフィナーレにも力強く持ってくる。そうすれば、この交響曲は愛する神さまをほめたたえる賛歌で終わることになる。

ブルックナー最晩年の医師リヒャルト・ヘラーが語ったところによると、ブルックナーはフィナーレの終結部をピアノで演奏して、そう語ったとされる。では、この「第2楽章のハレルヤ」とはいったい何を指すのか? ヘラーの回想だけでは特定できないが、SPCM版の校訂者の一人であるジョン・アラン・フィリップスは、それを『第8番』の第2楽章トリオ部の25小節目で登場するパッセージであると解釈した。それは、この『第9番』の第3楽章アダージョの主要主題の5小節目にも(ニ長調で!)登場する。この旋律に含まれる「Fis→A→D→E→Fis(ニ長調のミ・ソ・ド・レ・ミ)」という音型は『ミサ曲第1番』や『テ・デウム』に現れるし、『第9番』と同時期に作曲された『詩篇第150番』でも「ハレルヤ」の歌詞に乗って歌われる。いわばブルックナーが神をたたえる場面で象徴的に登場する旋律であり、この壮大な交響曲の締めくくりにふさわしいものとして用いられることになった。


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SPCM版2012年改訂稿の終結部では、前3楽章の主題が積み重なるように再現(かなり衝撃的!)され、ドミナント和音(11の和音)により究極の緊張がもたらされた後、弦楽器群で奏される『テ・デウム』の4音動機に乗って、金管楽器の「ハレルヤ」が高らかに鳴り響く。最後は『ヘルゴラント』の終結部を応用し、神をたたえながら曲が閉じられる。(ただし、ようやくニ長調に転調して輝かしい響きに包まれたと思った途端、あっけなく曲が終わってしまう点は少々物足りないが…) 

もちろん、ブルックナー自身の手によって完成されていたならば、より緻密で説得力のある作品になったに違いないという思いは残るが、1984年の初刊以来26年、幾度もの改訂を経て「最終完成版」として発表された今回のSPCM版のフィナーレは、演奏の素晴らしさと相まって、前の3つの楽章と遜色のない作品に仕上がっていると感じた。

また、フィナーレが加わり4楽章形式の交響曲になることで、曲全体に及ぼす演奏解釈の変化も予想以上に大きかった。これまでの演奏は、第3楽章アダージョで曲が終わるため、意識的に終楽章の要素を加味した解釈で演奏されていた。だが今回のラトル盤は、4楽章制になったため、第3楽章の終結部は比較的あっさりと閉じられる。

この未完の交響曲を、「第3楽章で十分に完成している」という人たちは、無意識のうちに、今までの演奏解釈に馴らされてきたことを認識する必要がある。もし仮に、かの『交響曲第8番』が第3楽章までの未完成作品だったとしたら、あの深遠で長大なアダージョを終楽章として、「それらしく」演奏することだって可能なのだ。

今回のラトル指揮&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏を聴いて、確かに違和感を感じる人もいるだろう。それは至極当然のことだと思う。今までの演奏と解釈が異なるのだから…。僕は何度も何度も聴き続けるうちに、これこそが本来作曲者が望んできた姿であり、あるべき形なのだと思えるようになってきた。ひょっとして将来、散逸している「ボーゲン」が新たに発見され、さらに完成度が増すことになるかもしれないが、現時点でも十分聴き応えのある作品に仕上がっていることには違いない。


ブルックナー『交響曲第9番(第4楽章付)補筆完成版』
サイモン・ラトル指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(EMI)

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指揮者のラトルも言及しているが、モーツァルトの『レクイエム』については、弟子のジュスマイヤーの補筆部分に大なり小なり違和感を感じながらも、世間に広く認知されているではないか。このブルックナーの交響曲以上に他人の手が加わっているにもかかわらず…。他にもバルトークの『ヴィオラ協奏曲』やベルクの歌劇『ルル』など、他人の手で補筆完成された曲も、今では普通に聴かれるようになってきた。

このフィナーレは、ブルックナーが最晩年の数年間、試行錯誤を繰り返しながら、それこそ命を賭(と)して完成させようとした「遺言」である。そして、残された楽譜を詳細に研究し、何人もの優れた音楽家たちが力の限りを尽くし、作曲者の最後の声を届けようと、何度も改訂を試みてきたものだ。ブルックナーファン、いや音楽を愛する者であれば、決してその努力を無視したり、ましてや軽々しく批判することなど、できようはずはない。

今回、その決定版ともいうべきものが、世界最高のオーケストラであるベルリン・フィルにより演奏されたという歴史的快挙をファン一同、喜び合いたい。


【参考文献】
『ブルックナー』 土田英三郎著(新潮文庫)
『全4楽章としての第9交響曲』 ジョン・アラン・フィリップス(土田英三郎訳)


2012/04/06

ブルックナーの遺言(前編)

ブルックナーの全交響曲の中で1曲だけ選ぶとしたら、何といっても『第9番』である。


彼の最後の交響曲であるこの『交響曲第9番ニ短調』は、僕にとって思い出深い曲で、中学生の時、初めて聴いたブルックナーがこの曲だったということもあるが、とにかく「ものすごいもの」を聴いたという記憶が残っている。

第1楽章、開始早々、全管弦楽がユニゾンで一斉に奏する第1主題は、まるで雷が落ちたかのような凄まじい迫力があるし、スケルツォの不思議な浮遊感と執拗(しつよう)なまでのD音の連打、9度の跳躍に始まるアダージョ楽章の主要主題の荘厳な美しさ等々、全曲にわたって聴きどころ満載である。

もちろん僕は、これまでブルックナーのさまざまな作品を聴いて、それぞれに深い感銘を受けているのだが、やはり『第9番』の魅力には敵(かな)わないと思う。所有しているレコードやCDの数が一番多いのもこの曲で、最近、気に入っているのは、サヴァリッシュがウィーン・フィルを指揮したライブ録音。その若々しい推進力、オーケストラの柔軟で、きめの細やかな響きが素晴らしい。


ブルックナー 交響曲第9番 (Altus)

Brucknercd2


もちろん、かねてより定評のあるヴァントやジュリーニの演奏も深みがあって感動的だし、他にもヨッフムやバーンスタインなど名演が多数存在する。実演の記憶では、学生時代に聴いた朝比奈隆&大阪フィルの演奏が印象深い。とにかく僕は、この曲の演奏を聴いて失望した記憶がない。それだけこの作品は、演奏に対する「許容力」があるということかもしれない。

個人的にも思い入れが強い作品なのだが、その素晴らしさを満足に表現できる文才もないので、このあたりで止めることにして、今回は、ブルックナーの死によって絶筆となった第4楽章フィナーレについて取り上げてみたい。


長らくこの第4楽章は、スケッチのみが現存すると伝えられてきた。事実、以前このサイトでも取り上げたことのある『クラシック音楽作品名辞典』(三省堂刊)には、昨年発売の改訂版にも、そう記載されている。要するに「取るに足りないもの」というわけだ。ブルックナーを愛好する人でさえ、かつては、その程度の認識だったと思う。事実は、大きく違っていたのだが…。

また、残された3つの楽章の出来が素晴らしいことも、続く第4楽章に対して興味が向かない要因だったとも考えられる。緊張度が高く悪魔的な第1、第2楽章。ようやく第3楽章の終盤になって、その緊張から開放され、彼岸のような穏やかな調べとなる。

事実、第3楽章の最後の部分では、これまでの自作の旋律が次々と回想され、いかにも全曲の締めくくりのようにも聴こえる。そこには3楽章で終わることによる不足感や疎外感はなく、シューベルトの『未完成交響曲』と同様、「残された楽章だけで完結している」と思えても不思議ではない。現在でも、そう考える人は少なくないのではないか。だがそれは、決してブルックナーの意思ではない。彼は、あくまでも4つの楽章から成る交響曲を意図していたのである。死が訪れるその日まで…。


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1980年代になって、アメリカの音楽学者ウィリアム・キャラガン校訂に基づくヨアフ・タルミ指揮&オスロ・フィルによるCD(シャンドス)が発売され、そうした認識に風穴が空いた。このフィナーレが取るに足らないスケッチなどではなく、実は復元が可能なくらい相当数の総譜や草稿が残されていることが、一般にも知られることになったからだ。

その後も、『第3番』や『第8番』などのオリジナル第1稿の録音で評判が高かったエリアフ・インバルによる録音が現れたりしたが、何といっても決定的な評価を得ることになったのは、1993年に発売されたクルト・アイヒホルン指揮、リンツ・ブルックナー管弦楽団による2枚組みのCDであろう。※現在は、「交響曲選集」に含まれる。


ブルックナー 交響曲選集(カメラータ・トウキョウ)

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この演奏は、音楽学者・指揮者・作曲家のニコーラ・サマーレ、ジョン・A・フィリップス、ジュゼッペ・マッツーカの3人にベンジャミン=グンナル・コールスが協力し、現存する手稿に基づいて行われた自筆スコア復元の試みで、1992年12月に発表された。彼らの頭文字を取り、通称「SPCM版」と呼ばれる演奏会ヴァージョンである。

この版に基づき、いち早く録音されたアイヒホルン盤の演奏が、フィナーレ付き『第9番』の普及に果たした功績は大きい。それ以前の復元版は、CDで聴く限り、あの偉大な3つの楽章に続く役割を担うには全くの役不足で、それに相応しい規模と内容を備えているとはいえないものだった。また、復元版が複数出回り、その違いの大きさやブルックナーらしくない展開に、失望と諦めが広まっていたのも事実であろう。

しかし、ブルックナーの演奏に定評のあるアイヒホルンによる渾身の演奏は、前半の3つの楽章ともども大変素晴らしいもので、決定版とは断言できないかもしれないが、高い評価を得ることになったことは間違いない。また、80ページにわたる付属の解説書も、たいへん読み応えのあるものだった。

その後も改訂が加わり、CD録音がいくつも発売されたが、取り立てて大きな違いは感じられなかった。ただ、アーノンクールが、2002年にウィーン・フィルと録音したCDは、第4楽章の断片資料に関する詳しい説明と演奏がワークショップ形式で収められていて、興味をそそられた。

僕自身、2010年1月9日に、愛知県芸術劇場コンサートホールで開催されたオストメール・フィルハーモニカーの演奏会で、このSPCM版に接するなど、ブルックナーの「4楽章完成版」は、すっかり日常?の作品になっていた。だが今回、サイモン・ラトルが今年2月のベルリン・フィルの定期で、この4楽章版を指揮すると知って、久しぶりに心を揺り動かされた。それは、来日時のインタビューの中で述べた「これまでの復元版とは大きく異なる」「これこそが決定版」という発言を聞いたからだ。

その後、今回、ラトルが取り上げるのは、新たに校訂されたSPCM版と知り、上記の発言は、あまりに大げさではないかとも思ったが、近年、研究が進み、新たに発見された草稿も取り入れながら、どのような姿に変わったのか興味があった。CDも発売されるとアナウンスされていたが、待ちきれず、ベルリン・フィルの定期演奏会のライブ中継を見るために、今まで躊躇していたデジタル・コンサートホールに入会することにした。

2月9日、日本時間の早朝4時ころから始まる演奏を見るために、眠い目をこすりながらパソコンのモニターに向かう。地球の反対側で行われている演奏会のライブが、インターネットを通してリアルタイムで鑑賞できるという事実に、改めて感動をおぼえた。

演奏会は、大成功のうちに終了。聴衆の大歓声に、満足そうに応える指揮者や団員の姿が印象的だった。2012年校訂版は、ラトルがアナウンスしたような「これまでとは大きく異なる」というほどの違いもなく、いささか拍子抜けしたが、それは、今までの校訂作業が、確かなものであったという証拠であろう。

ただ一点驚いたのは、コーダの最後の箇所だ。アイヒホルン盤など、これまでの演奏では、4つの楽章の主要主題が積み重なって壮大なクライマックスが築かれた後、いったん全部の楽器が静まり返り(ブルックナー休止)、弦楽器が静かにトレモロのパッセージを奏でる中、金管楽器による「ハレルヤ」の主題が登場し、それが繰り返されながらクレッシェンドしていく流れだった。しかし、今回の演奏では、クライマックスの後、間髪を入れずに全楽器がフォルティッシモでニ長調の主和音を鳴らし、一気に終結に向かうという点だ。弦楽器の刻みも、『テ・デウム』の動機に変えられている。

今までの演奏に馴染んできた者としては、かなり戸惑ったが、そのアーカイブ放送を聴き込むにつれて、新しい版の方が曲の説得力が増し、より効果的だと思えるようになったし、アイヒホルン盤など既存の版で唯一不満な点だった「終結部の印象の弱さ」が大きく改善される結果となった。


今回、ラトルとベルリン・フィルが取り上げたことで、この「4楽章完成版」に対する認知度は、いっそう増すことだろう。
思い起こしてもらいたい。1980年、サイモン・ラトルのデビューアルバム(LPレコード)が、ボーンマス交響楽団と録音したマーラーの『交響曲第10番嬰ヘ長調(デリック・クックによる全曲版)』だったことを…。


マーラー 交響曲第10番[クック全曲版](EMI)

Mahlercd3


それ以前は、数えるほどしか録音がなく珍しい存在だったこのクック全曲版が、この録音を前後して一気に広まっていった。そして2002年、クラウディオ・アバドの後任としてベルリン・フィルの首席指揮者兼芸術監督に就任したラトルが、真っ先に取り上げたマーラー作品が、この「クック全曲版」だった。これがマーラーの『交響曲第10番』を、全5楽章の作品として当たり前のように聴かれることとなる決定的出来事となった。もちろん今でも、かたくなに「第1楽章のアダージョしか認めない」という指揮者や評論家がいることを知っているが、このクック全曲版を「キワモノ」とみなす人は、さすがにいないであろう。

そして今回、ラトルはベルリン・フィルとともに、このブルックナーの未完の交響曲の補筆完成版を取り上げた。状況は、まさに10年前のマーラーの「それ」を思い起こさせる。

ラトルは、かねてよりこの4楽章版に興味を示しながらも、その完成度に疑問を持っていたと伝えられるが、幾度かの校訂を経て、ようやく納得のいくものになったと思われる。昨年、ベルリン・フィルのシンガポールや日本における公演では、今までどおり3楽章形式で演奏していたが、来日時の記者会見で、次のシーズン・プログラムとともに、この計画を発表したときの彼は、きわめて饒舌であったという。そして、満を持して披露される運びとなった今回の演奏…。

定期演奏会に合わせて録音されたCDも、5月に発売が控えている。これを契機に、この「4楽章完成版」が多くの人の耳に届き、やがては「全曲版」と呼ばれるようになり、広く普及していくことを、心から願っている。


次回は、この第4楽章の中身について、さらに深く掘り下げてみたい。

2012/03/04

大河ドラマの音楽に関する私論

今年のNHK大河ドラマ『平清盛』が、いよいよ面白くなってきた。

プログレッシブカメラによる映像の色合いや視聴率の低迷など、最近、何かと話題にのぼることが多いようだが、平安時代末期の王侯貴族の腐敗ぶりや武士や庶民が置かれた厳しい境遇などが、リアリティー豊かに描かれていて素晴らしい。

NHKの大河ドラマは、昭和38年の『花の生涯』に始まり今回で51作目となるが、今では国民的番組のひとつになっていて、ドラマの舞台となる場所が多くの観光客でにぎわったり、主人公に関する書籍が数多く出版されたりと、日本経済に与える影響も大きい。

歴史上の人物や事件が、今をときめく役者たちによって演じられることで、歴史に興味を持ち、理解を深めてゆく人も多いと思われる。「歴女」と呼ばれる歴史好きの女性の増加、全国各地で行われている「歴史検定」なども、大河ドラマの影響を抜きに語ることはできない。何を隠そうこの僕も、そうした一人なのだ。

そして、大河ドラマの大きな魅力の要素になっているのが、番組中に流れる音楽である。とりわけオープニングテーマは、ドラマを象徴する音楽として、1年を通じて番組の冒頭に流れ続けることになり、その存在は重要だ。また、劇中でも数多くの音楽が使われ、登場人物の心理描写や物語の展開に大きな役割を果たしている。

今年の『平清盛』の音楽を担当するのは、現代日本を代表する作曲家吉松隆(よしまつ・たかし)である。彼にとっては初となるテレビドラマだが、彼のオリジナリティが存分に発揮された素晴らしい出来栄えとなっている。先日、そのサウンドトラック盤が発売になったのでさっそく購入したが、館野泉のピアノや子どもの歌声が心にしみるオープニングテーマはもとより、とりわけ劇中で「今様(いまよう)」の歌詞に乗せて歌われる、はかなくも美しい旋律(トラック4、16)は、この大河ドラマ全体を貫く、真のテーマとなっていて、きわめて印象深い。

NHK大河ドラマ『平清盛』オリジナルサウンドトラック

Tairanokiyomorisoundtrackcd


大河ドラマの音楽は、ここしばらく吉俣良や大島ミチル、佐藤直紀など、テレビや映画の分野で活躍する劇判専門の作曲家の起用が続いた。もちろん彼らの音楽はいずれも素晴らしく、僕自身、『篤姫』や『龍馬伝』などの音楽に夢中になったものだ。

彼らは、涙腺を刺激する叙情的なメロディーをはじめ、ロック調やラテン調、民族音楽風など、さまざまなシチュエーションに対応した音楽を創り出す、オールマイティな技術を持つ一流のプロフェッショナルである。売れっ子ともなれば、多様な仕事を同時並行でこなさなければならず、さまざまな要望に迅速に対応するために、何人ものアシスタントを抱え、仕事を分担させる必要も出てくる。いわゆるプロダクションやチームとして仕事を進めてゆくわけだが、それに比べて吉松氏は、アシスタントを持たず、一人で全ての作業をするスタイルを続けているとのこと。今回の大河ドラマの仕事は、彼にとって大変な労力のいる仕事だったことは想像に余りある。

彼の作品は、いわゆる昨今のテレビドラマのように、キャッチーなメロディーが豊富にあるわけではなく、一聴しただけでは複雑に聴こえがちで、親しみやすさの点からみれば、劇判専門の作曲家に一歩譲らざるを得ないかもしれない。

もともと現代音楽界の異端児として、無調や十二音音楽を絶対とするアカデミズムに反旗を翻し、豊かなメロディーの復権を目指していたはずの彼が、こうした大衆音楽の世界では、逆に「とっつき難い音楽」を書く作曲家と思われてしまうのは、何とも皮肉なことである。だが、そうした認識も、時の経過とともに変わってゆくことだろう。

今回の大河ドラマへの挑戦は、彼の音楽の魅力を、より多くの人に知ってもらうことができる絶好の機会だと思っているし、初めてこのオープニングテーマを聴いたときは、数十年来の吉松ファンとして、心に熱くこみ上げるものがあり、感無量であった。

劇中に挿入されるプログレの名曲『タルカス』のオーケストラ編曲版も、往年のロックファンに新鮮な驚きをもって受け止められているようだし、吉松氏自身が運営するホームページへのアクセス数も一挙に増加、新聞や雑誌から多くの取材を受けるなど、一躍「時の人」となっている。また、テーマ音楽をはじめとして吹奏楽版の楽譜もすでに出版されていて、今後、全国各地で開催される吹奏楽団の定期演奏会などで、盛んに演奏されることになるに違いない。

『タルカス~クラシック meets ロック』


Tarkuscd


今回の吉松氏に限らず、大河ドラマの音楽では、これまで現代音楽の分野で活躍する作曲家が数多く起用されてきた。時代をさかのぼれば、入野義朗、武満徹、間宮芳生、三善晃など、そうそうたる顔ぶれが並んでいる。

芥川也寸志による『赤穂浪士』のテーマ音楽は、その後の大河ドラマの音楽の規範となった作品として知られているし、先ごろ亡くなった林光による、滔々(とうとう)と流れる、まさに大河のような『花神』のテーマ音楽も傑作として名高い。

僕がとりわけ感銘を受けているのは、湯浅譲二が担当した音楽(『元禄太平記』、『草燃える』、『徳川慶喜』)で、さすがに現代音楽の旗手らしく、テレビドラマでも決して妥協を許さず、一筋縄ではいかない音楽を書いている。例えば『徳川慶喜』のオープニングテーマ。モチーフが複雑に絡み合う混沌とした響きの中から、浮かび上がってくる清冽で強靭(きょうじん)なメロディー。そのコントラストの妙!わずか2分30秒の尺の中に、聴く者の想像を超える音楽的要素が織り込まれている。第一印象はよくないかもしれないが、聴けば聴くほど味わい深い傑作である。


決定版 大河ドラマ全曲集

Taigadramacd


そして何より重要なことは、この大河ドラマの音楽の演奏を担っているのがオーケストラ(主としてNHK交響楽団)であるということだ。クラシック音楽を愛好する人は別として、視聴者の多くは、日ごろオーケストラ音楽に接する機会は少ないと思われる。そのオーケストラの壮大な響きが、毎週、一般の視聴者の耳に届くという事実、その効果は計り知れないものがある。

大河ドラマは、若干低くなったとはいえ、平均して20パーセント程度の視聴率を誇っている。ドラマの中で奏でられる音楽は、意識すると否とにかかわらず、視聴者の記憶に残り、積み重なってゆく。冒頭や劇中に流れる勇壮な音楽、時には繊細な調べに心を動かされる視聴者も少なからずいることだろう。

その体験こそが、堅苦しいと思われがちなクラシック音楽との接点となる。ひょっとすると、生まれて初めて聞くオーケストラ音楽が、この大河ドラマという子もいるかもしれない…。

『スター・ウォーズ』や『ロード・オブ・ザ・リング』をはじめとする映画音楽と同様に、NHKの大河ドラマの音楽は、まさにオーケストラ入門、ひいてはクラシック音楽入門として、極めて大きな役割を果たしていると言っても過言ではない。これは、クラシック音楽の世界にとって、とてつもなく重要なことと認識すべきであろう。

【参考映像】

『草燃える』オープニングテーマ


『タルカス』(吉松隆編)

※一部、敬称は省略させていただきました。ご了承ください。

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