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2014年7月

2014/07/21

インバル&都響のマーラー

長かった梅雨が明け、いよいよ夏本番がやってきた。

生来、汗かきで夏が苦手な僕にとっては、一年で最もつらい季節の到来である。例年、7月下旬から8月上旬にかけては灼熱地獄となるが、今年も何とか歯を食いしばって切り抜けたいと思う。

慌しい日常に、ゆっくりと音楽に向かう機会を失してしていたころ、7月後半にエリアフ・インバルが東京でマーラー『交響曲第10番嬰ヘ長調』(デリック・クック補完版)を指揮することを知った。

思えば、しばらく東京もご無沙汰だ。東京国立博物館では『台北 國立故宮博物院特別展』も開催中だし、国立新美術館では『オルセー美術館展』も始まっている。せっかくならコンサートも聴いてきたい…。そう思案をしていたところだったので、ここぞとばかり一念発起。遅きに失した感があったチケットも思いがけずよい席が取れ、万難を排して東京への遠征を決行することにした。

インバル&東京都交響楽団による新マーラー・ツィクルスは、一応これで終結とのこと。エクストン・レーベルにより演奏は順次CD化されていて評判も高い。僕にとって、クック補筆による『第10番』全曲版の演奏を生で聴くのは初めてで、いやが上にも期待は高まる。


7月21日(月・祝)の演奏会当日は、午前中、『オルセー美術館展』鑑賞のため国立新美術館を訪れ、途中昼食をとり、徒歩で会場へと向かった。だが、しばらくすると東西南北がわからなくなってしまった。何とか開場15分くらい前にはサントリーホール(東京都港区)に到着し、アークカラヤン広場の噴水前でしばし涼をとる。周囲を見回しながら、過去の演奏会でのことが思い出されて、しばし懐かしい気分に浸る。


Suntoryhall2


サントリーホールを訪れるのは、何年ぶりのことだろう。過去数回、演奏会を聴きに来ているはず。今や記憶も定かではないが、少なくとも10年以上は経過していて、リニューアル後、初めてなのは間違いない。ただ、僕のような地方遠征組にとっては、このホールは交通アクセスが悪い(公共交通機関の乗換えが面倒くさい)という印象があり、どうしても疎遠になりがちだ。


Suntoryhall


やがて開場の合図の音楽が鳴り響き、ゆっくりとホールに入る。建物入り口では、レセプショニストのお姉さんたちがコンサートのチラシの束を配っていたが、荷物になるので僕は貰わない。

販売コーナーでは、新マーラー・チクルスなどインバルのCDが販売され、限定でサイン色紙がもらえるとのことだったが、すでにマーラーのCDは有り余るほど持っているので、物色はしたものの購入はためらった。もちろん今回の演奏会のCDが発売されたら買うことになるだろう。

ロビーでは、現在、桂冠指揮者でもあるインバルと都響との写真パネルの展示もされていて、このコンビが、いかに聴衆に愛されているかを、うかがい知ることができた。


Suntoryhall3


会場内は、ほぼ満席に近い状態。よく見ると、あちらこちらに空席も見られるが、実質、8割強は余裕で埋まっているのではないかと思われた。それにしても、さすがにサントリーホールのお客さん、それもマーラーのレア作品を聴きに来るだけあって、どことなくマニアックな雰囲気が漂う。総じてマナーも良く、いちいち余計なことに気を使う必要がない。僕としては、アウェイの会場に出かけて、コンサートに通い慣れしている人たちに混じって聴く方が圧倒的に好きで、気分も落ち着く。(同類ということか)

会場アナウンスで「曲が終わっても、指揮者が手を下ろしてから拍手をお願いします」のようなことを言っていたが、今日の演奏が録音&CD化されることも事情があるのだろう。ステージ上には、多数のマイクロフォンが設置されていた。

オケの入場、チューニングに続いて指揮者のインバルが登場。今回の演奏会への期待度を物語るかのように、割れんばかりの拍手となる。タクトが振り下ろされ、ヴィオラによるモノローグによる導入部が始まるが、その表情付けの深く緻密なこと…。荘厳かつ壮大な第1主題は、それこそ圧倒的な美しさとスケール感で展開してゆく。その見事さに、ただただ唖然と聞きほれるしかない。

都響の演奏は、まさに完璧といってよい。とりわけ第1楽章で有名なのは、後半のクライマックスに象徴的に登場するトランペットのA音(マーラーの妻アルマの頭文字に由来)。不協和音の中から浮かび上がるが、その音の揺ぎ無いこと! トランペットは後半の楽章でもきわめて重要な役割を果たすが、とにかく上手い。(パンフレットによると首席奏者の岡崎耕二氏)以前、同じコンビによるショスタコーヴィチの交響曲CDでも思ったのだが、いつの間に日本のオケは、こんなにレベルが向上したのだろうか。都響恐るべし。

第1楽章が終わると、静かだった会場の聴衆が一斉に咳(せき)をし始め、ざわつき出す。「えっ?みんな、そんなに我慢してたの?」と突っ込みたくなるくらい。

この『交響曲第10番』の完成版は5つの楽章からなり、第1楽章と終楽章がそれぞれ25分にも及ぶ規模を持ち、その間に、比較的小規模な3つのスケルツォ楽章が挟まれるという特異な形式を有している。第2楽章は躍動的なスケルツォで、若いころの『巨人』『復活』の作風に逆戻りしたかのような瑞々しい曲想。もし、マーラー自身が長生きして完成させていたら、もう一ひねりも二ひねりも、したことだろう。

第2楽章が終わると、指揮者は一旦ステージを退場。オケの再チューニングが終わっても、なかなか指揮者が登場しない。休憩と思ったのか席を離れようとしかお客さんがいたくらい。指揮者も少々お疲れなのだろうか、と余計なことを考えてしまう。

第3楽章以下は、アタッカで続けて演奏された。そのためか音楽の緊張が途切れず、演奏が進むにつれてオケや聴衆の集中度が高まり、会場全体の雰囲気が変化してくるのが体感できた。

第3、4楽章も第2楽章同様、良くいえば素直、反面、未完成ゆえに響きが薄いというか彫りが浅い作品だ。マーラーとしては、ひとまず最後まで「通し」で書き上げておいて、後日さらに筆を入れ、仕上げてゆくつもりだったのだろう。決して悪くはないのだが、晩年のマーラーの作風から考えると、もっと複雑な味わいを期待してしまうのは、やむを得ない。

そして始まる終楽章。マーラー夫妻が、ニューヨークで偶然遭遇したという葬儀を表現したとされる軍隊用の大太鼓による衝撃的な連打が鳴り響く中、チューバの下降してゆく音形が、怪しげな雰囲気を醸し出す。それは不気味というより、無機的な響きの世界。不安な感情に襲われる中、突如奏で始められるフルートのソロ。何という無垢で美しい瞬間だろう。そしてヴァイオリンの連綿と続くカンティレーナ!

曲の半ばでは、再び、あのA音が鳴り響き、第1楽章の冒頭の旋律がホルンにより再現されるが、これは当時、妻アルマの不貞に心を悩ませていたマーラーの苦悩を表現したものとされる。曲のクライマックスでは、前作『交響曲第9番』の終楽章を凌ぐほどの鮮烈なカンタービレが弦楽器群で奏される。その響きには、心の奥底に突き刺さるものがあり、思わず目頭が熱くなる。『大地の歌』や『交響曲第9番』の終楽章では、死への恐れや抵抗、諦念が描かれたが、ここではむしろ、全てをありのままに受け入れようとする「意思」が感じられる。


Gustavmahler


僕は、あえて断言したい。マーラー『交響曲第10番』の最大のドラマは、冒頭のアダージョ楽章にあるのではない。この終楽章にこそあるのだ、と。補筆全曲版の最大の功労者クックをはじめ、過去、何人もの音楽家がマーラーが未完のまま残したこの作品を完成させようと努力してきた。彼らが、何としても成し遂げたかったのは、この感動的な終楽章の復元にあったのだ。たとえ中間の3つの楽章の出来に不満が残るとしても…。その思いを、改めて確信することができた素晴らしい演奏だった。

終楽章のコーダでは、マーラーの「最期の一念」とでもいうべき、ヴァイオリンのグリッサンドによる急激な上昇とゆるやかな下降…。バイオリン群が不揃いなボウイングを繰り返して駆け上がり、やがて穏やかな収束に向かう。

「さようなら、アルマ…」

マーラーの意識は空の彼方へと消え、そして永遠となる。

指揮棒が静かに振り下ろされ、訪れるしばしの静寂が素晴らしい。そして湧き上がるブラボーの声。拍手はいつ終わるともなく続いた。楽団員が退場しても拍手は鳴り止まず、2度もステージに現れ、興奮が冷めやらないファンに手を振る指揮者。これほど熱い「一般参賀」を見たのは初めてかもしれない。

これまでラトル、レヴァイン、シャイーなどのCD等で何度となく聴き返してきた作品だったが、生演奏から受ける感動は、ただ「衝撃的」というほかない。それもインバル&東京都交響楽団という、現在、望みうる世界最高の組み合わせによる渾身の名演なのだから、文句のつけようはずがない。とにかく僕にとって、深く心に刻まれる演奏会になった。約1時間半の演奏を聴き終えて、陶酔感と、心地よい疲労感に包まれながら会場を後にした。


Inbalmahlerleaf


こうして無事、目的を達することができた今回の東京遠征。少々強行スケジュールではあったが、本当に思い切って決断してよかったと思っている。

もし仮に、聴きに行かなかったとしても、後悔はなかっただろう。その場合、今回の一連の出来事は、そもそも自分の中では存在しなかったことになるのだから…。 しかし、このような素晴らしい経験をすることもなく(たとえそれが失望に終わったとしても)、日常が過ぎていってしまうことの方が、僕にとっては、ある意味「恐怖」だ。

いよいよ人生の折り返し点を迎え、残りの時を数えながら考えをめぐらすことが多くなってきた。思えばこれまで「次の機会がある」「別に今じゃなくても」と、自分に言い訳をしながら、限りある時間を浪費し多くの貴重な出会いを失してきたのではないか。

せめてこれからは、時機を逸することなく、その一瞬一瞬を全身で受け止めることができるように過ごしていかなければと痛感した。


【関連CD】
当日のインバル&東京都交響楽団の演奏が、オクタヴィア・レコードから発売されています。


マーラー:交響曲第10番(デリック・クック補筆による、草稿に基づく演奏用ヴァージョン)

Mahlercd4


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