« 2012年12月 | トップページ | 2013年3月 »

2013年2月

2013/02/23

エルガーの遺作交響曲

春が待ち遠しく感じられる如月の15日、名古屋フィルハーモニー交響楽団の第399回定期演奏会を聴きに愛知県芸術文化センター(名古屋市東区)を訪れた。

季節は立春を過ぎ、時に暖かい日差しが感じられる日もあるとはいえ、まだまだ北風が頬に冷たい日が続いている。この冬は気候の変化が大きく、1月下旬には体調を崩してしまった。病もようやく癒えて、先週は、この会場でロッテルダム・フィルハーモニーの演奏会でラフマニノフの『交響曲第2番』を聴いたばかりだが、今回も、それに勝るとも劣らない魅力的なプログラムが並んでいるのだから、聞き逃すわけにはいかない。

「マザー・グースの国から」と題された今回の定期演奏会は、僕にとって今シーズンの名フィルの演奏会中でも、最高に魅力的なプログラム揃い。前半にディーリアス(ビーチャム編)の『楽園への道』、そしてラヴェルのバレエ組曲『マ・メール・ロワ』が演奏された。どちらもロマンチックかつメルヘンチック、いやが上にも想像力をかき立てられる曲目だ。しかし今回一番の目的は、何といっても後半に演奏されるエドワード・エルガー(1857~1934)の『交響曲第3番ハ短調(作品88)』である。


Nagoyaphilcon


この交響曲は、エルガー自身によって第1楽章冒頭など、ごく一部が総譜として残されているだけで、130ページに及ぶ未整理状態のスケッチを、この作品の委嘱者であるBBC(英国放送協会)が同国の音楽家アンソニー・ペイン(1936~   )に補完を依頼、1998年に補筆完成版として世界初演された作品である。全体は4楽章からなり、演奏時間1時間弱の大交響曲に仕上げられている。専門家の間での意見は分かれるにせよ、残された数少ない手がかりや他のエルガー作品を参考に、想像力をたくましくして、よくぞここまで完成度の高い作品に仕上げたものだと感心するほかない。真に偉大な仕事である。


エルガーが残したスケッチ(第1楽章の一部分)

Elgarsym3_2


僕がこの交響曲に出会ったのは10数年前、東京に出かけた際、池袋のメトロポリタンプラザ内にあったHMVのクラシック売り場でCDを物色していたとき、偶然、店内に流れてきた荘重で美しいオーケストラ曲に耳を留めたことにさかのぼる。「はて、誰の曲だろう? 聴いたことないけど…」、ふと興味を持って、レジに置いてあったCDを何気に見て驚いた。それがこの交響曲だった。

それまでエルガーの交響曲といえば、『第1番変イ長調(作品55)』と『第2番変ホ長調(作品63)』の2曲のことだった。最晩年になって新しい交響曲に取りかかったが、作曲者逝去のためスケッチのみで終わったはず…。だが、そのCDがここにある! それは僕にとって、まったくの予想外の出来事だった。CDは、アンドリュー・デイヴィス指揮&BBC交響楽団の演奏による全曲演奏盤が1枚。別売として、この交響曲のために残されたスケッチを補筆者であるペイン自身が解説したCDが1枚あった。もちろん両方とも即座に購入した。


エルガー(ペイン補筆完成)「交響曲第3番」(NMC:輸入盤)

Elgarcd


エルガー「交響曲第3番」スケッチ集及びペインによる解説(NMC:ダウンロード版)

Elgarcd2


それまで僕にとってエルガーの交響曲とは、後期ロマン派の外見をまとった「地味で長大な作品」といった印象が強く、その冗長感から敬遠気味だった。『第1番』の初演者で、作品の献呈者でもある指揮者ハンス・リヒターは「当代最高の交響曲」と評したらしいが、とてもそうは思えなかった。

しかしこのペイン補筆によるこの『第3番』は、そうした取っつきにくさが少なく、すんなりと聴くことができた。特に未完のオラトリオ『最後の審判』から採られたという第1楽章の第2主題は、エルガーの特徴のひとつである「ノビルメンテ(高貴に、貴高く)」を象徴するような気品のある印象的な音楽で、このメロディーが聴けるだけでも、補筆された価値があると思ったほどだ。また、第4楽章冒頭の金管群による輝かしいファンファーレや、それに続く弦楽器を伴った勇壮な展開も、まさにエルガーそのものを感じさせる。

この交響曲に出会って以降、ポール・ダニエル盤やコリン・デイヴィス盤、リチャード・ヒコックス盤など、新しいCDが発売されるたびに購入してきた。「いつか実演でも聴いてみたい」とは思いながら、なかなか機会は訪れなかったが、今回ようやく念願かなって、名フィルの定期演奏会で聴ける機会がめぐってきた。

今回、指揮を担う尾高忠明氏は、かねてよりエルガーの演奏に定評がある。この交響曲も札幌交響楽団とのCDがあるし、最近はNHK交響楽団との定期演奏会でも取り上げていて、まさにうってつけの指揮者といってよい。彼と名フィルによるエルガーの交響曲といえば、2009年の定期演奏会で『交響曲第2番』を聴いたことがあり、あの時も、大変な名演奏だったと記憶している。


さて、期待に胸を膨らませて出かけた演奏会だが、前半はディーリアス、ラヴェルともども、繊細で温かく、夢と現(うつつ)の境を行き来しているかのような感覚を覚える名演だった。ディーリアスの『楽園への道』は、悲劇的な結末を描く作品ながら、何か彼岸を見るような明るさが印象的だし、ラヴェルの『マ・メール・ロワ』では、特に終曲「妖精の園」の前半、弦楽器で奏でられる旋律が繊細で美しさの限りだった。

さて、休憩を挟んで、いよいよエルガーの交響曲だ。演奏は第1楽章の冒頭から、たいへん熱のこもったメリハリのある演奏が続く。もちろん第1楽章第2主題の歌わせ方も申し分なかったし、第2楽章アレグロの神秘的なテーマもデリケートの極みだったが、今回、実演に接してみて改めて実感したのは、第3楽章アダージョの荘厳で深遠な美しさ。これまでCDでは気付かなかったのだが、穏やかながら辛口の音楽が続く中で、弦楽器によって奏でられるニ長調のメロディーは、心癒(いや)される至福の瞬間と感じた次第。

続くアレグロの終楽章は、冒頭の金管のファンファーレに始まり、さまざまな展開を経ながら、最後はピアニッシモで消え入るように全曲を閉じる。これは補筆者であるペインのアイデアだが、絶筆となったこの曲に似つかわしく、エルガー自身の「生への別れ」のようにも感じられる。指揮者の尾高氏は熱演のあまり、指揮棒を飛ばしてしまうというハプニングもあった。(僕は気づかなかったけれども…)


Elgar2_2


客席で演奏を聴きながら、この『交響曲第3番』という曲は、つくづく恵まれた作品だと思った。その成り立ちを考えれば、必ずしもエルガーの真筆と言い切れないだろう。しかし、このペインによる補筆完成版が世に出て以降、エルガーのスペシャリストと呼ばれる多くの音楽家たちによって演奏会のプログラムとして取り上げられ、CDも数多く発売されている。それは、この曲の中に、紛れもないエルガー本人の息づかいを感じる瞬間があるからに他ならない。それはちょうど、遠い昔に亡くなった故人の遺品から、今まで知らなかった写真や手紙を見つけた時のようなものだ。

これまでの再演回数が200回を超えるという事実は、ペインが多くの困難を乗り越え達成したその偉大な業績に対する賞賛の証(あかし)でもあるのだろう。エルガーの音楽を愛する世界中の人々にとって、ペインの補筆による遺作交響曲は、きっと懐かしさで胸が締め付けられるような瞬間を感じることができる特別な存在に違いない。


【参考音源】
youtubeに全曲演奏の映像が掲載されています。補筆者のアンソニー・ペインも登場しています。


« 2012年12月 | トップページ | 2013年3月 »

2016年10月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

Twitter

無料ブログはココログ

Amazon ウィジェット

  • ウィジェット