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2012/09/15

日本の女性作曲家たち ~吉田隆子の特集番組を考える~

先日、NHKのETV特集で放送された『吉田隆子を知っていますか~戦争・音楽・女性~』という番組を見た。

わが国のクラシック音楽史における重要な作曲家の一人、吉田隆子(よしだ・たかこ、1910~1956)に焦点を当てた番組で、彼女を「女性作曲家の草分け的存在」と位置付け、次のように紹介していた。


「大正・昭和の戦争が迫りくる時代、男性中心の音楽界で差別と闘いながら民衆のための音楽(プロレタリア音楽)を掲げ、同志らと音楽活動を行い、聴衆から喝采を浴びた。迫りくる戦争に抵抗し、思想犯として特高警察に4度も拘留され健康を害したが、その信念を曲げることはなかった。戦後、創作活動を再開するも、46歳の若さで亡くなり、死後は忘れ去られてしまった」


Yoshidatakako2


僕は、これまでいくつかのCDで吉田隆子の作品を聴き、書籍などを通して、その主な功績についても承知しているつもりだった。今回の番組は、彼女と交流のあった関係者の生の証言を交えながら、彼女の人となりを見つめた興味深い内容だったが、同時に、その取り上げ方にいささか違和感を感じたのも事実である。

そこで今回は、この番組で紹介された吉田隆子とともに、日本の女性作曲家について考えてみたい。


吉田隆子とは誰か

そもそも吉田隆子とは、どのような人物だったのか。以下、おおまかな略歴を示す。


陸軍学校校長や陸軍中将を歴任した吉田平太郎の5人兄弟の次女として、東京目黒で生まれる。兄には映画評論家として活躍した飯島正がいる。
日本女子大付属高等女学校に通いながらピアノを学ぶ。卒業後、ピアニストを志すも、やがて作曲に興味を抱き、橋本國彦や菅原明朗に師事。またフランス語学校の仲間とともに人形劇団プークの創設に加わり、その音楽を担当する。
新劇の影響で左翼思想に共鳴し、プロレタリア音楽同盟(PM)に参加、その活動の中で生涯の伴侶となる久保榮と知り合う。(彼はプロレタリア演劇同盟などの中心的存在であった)
彼女は、演劇用の付帯音楽や室内楽曲、歌曲などの作曲活動とともに、労働者や民衆のための音楽を志向し、独自の楽団「楽団創生」を設立。ムソルグスキーやバルトークなどの紹介に努めた。
太平洋戦争のころは、反戦運動により長期にわたり留置所に拘留されたことが原因で腹膜炎を起こし病臥。
戦後、病気が回復し、代表作となる『ヴァイオリンソナタ 二調』を作曲。
晩年は、交響曲や歌劇の作曲に取り組むが、1956年、ガン性腹膜炎のため逝去。享年46歳。
生涯に23曲の作品が残されている。


番組の後半では、彼女の集大成ともいえる『ヴァイオリンソナタ ニ調』が演奏された。このソナタは、番組内で「初演以来、忘れ去られた幻の曲」として紹介され、今回、東京音楽大学の協力で再演された折の映像(この番組の収録用か?)が流れた。しかし作品は、すでに10年以上前に荒井英治のヴァイオリン、白石光隆のピアノにより録音され、CDも発売されている。


昭和のヴァイオリン・ソナタ選(ナミ・レコード)


Jviolinsonatas


このソナタは、伝統的な3つの楽章からなる作品。夫との共作であった演劇『火山灰地』の付帯音楽が引用され、第1楽章や終楽章では彼女の熱い情熱の吐露が随所に聴き取れる。また、「レント・ドロローゾ(ゆっくりと苦しげに)」と指示された第2楽章の中間部や、終楽章の後半に登場する日本風の叙情的なメロディーが印象的だ。


闘いの連続だった人生

ドキュメンタリー番組の制作にあたっては、企画・構成力がとりわけ重要で、それを裏付けるための取材を重ね、番組を編集する。今回は1時間という制約の中で、十分に意を尽くすのは容易でないことは理解できるが、だからといって特定の価値観に縛られシナリオを構成することは、認知的バイアスがかかるおそれがあり、見る者に誤解を生じさせかねない。

今回、特に番組の随所にフェミニズム的、共産主義的な価値観に基づくと思われる表現がいくつも使われていることが気になった。

 「日本に限らず世界の音楽界は、男女の差別が多い」
 「女と男の新しい関係を模索」
 「作曲は男、女はせいぜい演奏」
 「男性社会の音楽界で差別と闘いながら生きた」
 「虐げられし女性に捧げる音楽」云々。

差別との闘い、戦争との闘い、そして病魔との闘い…彼女の人生は闘いの連続であり、志半ばで倒れ歴史に埋もれた、そういうシナリオに基づいて番組を組み立てようとした意図は明らかだ。

こうしたストーリーの流れは、番組に何度も登場した小林緑国立音楽大学名誉教授の意図とも合致するのであろう。彼女はもともと「フェミニスト音楽研究者」を自認する研究者で、独自のジェンダー思想に基づいて、音楽界における女性差別と歴史に埋もれた女性作曲家をテーマに研究している人物である。  
※詳しくは、彼女の著書やホームページをご覧いただきたい。


女性作曲家の先駆者たち

さて、今回の番組では、吉田隆子が日本の女性作曲家の草分けとして取り上げられていたが、それを言うのなら、幸田延(こうだ・のぶ、1870~1946)を真っ先に挙げるべきであろう。


Koudanobu


東京に生まれた彼女は、幼少期から邦楽を学び、音楽取調掛(後の東京音楽学校、現在の東京藝術大学音楽学部)を経て、1889年、史上初の官費音楽留学生として、ボストンのニューイングランド音楽院やウィーン音楽院で学んだ。(ウィーンでは、ヴァイオリンをヨーゼフ・ヘルメスベルガー、作曲をロベルト・フックスといった著名な音楽家に師事)帰国後は東京音楽学校教授として、瀧廉太郎や山田耕筰、三浦環らを育てた。まさに日本の西洋音楽事始(ことはじめ)において忘れることのできない人物である。

なお、妹の安藤幸も東京音楽学校教授、ヴァイオリニストとして活躍。文豪、幸田露伴は、彼女の兄にあたる。若いころ、未完ながら2曲の『ヴァイオリンソナタ』を作曲していて、これは近年、池辺晋一郎が校訂・補筆してCD化されている。これは日本人初の器楽作品であることは言うまでもない。


日本女性作曲家の歩み ヴァイオリン作品(ミッテンヴァルト)


Jwviolinsonatas


また吉田隆子のほぼ同世代で、沖縄生まれの金井喜久子(かない・きくこ、1906~1986)を忘れてはならない。


Kanaikikuko


沖縄の宮古島で生まれた彼女は、県立第一高等女学校を卒業後、1933年、東京音楽学校の作曲科に初の女性として入学。呉泰次郎、下総皖一、尾高尚忠らに作曲を学んだ。20歳のころから『琉球舞踊組曲』や『琉球狂詩曲』など、沖縄の伝統や民謡に基づく数々の作品を発表し、民族音楽派の草分け的存在となる。彼女の作品は、過去の録音(『交響曲第1番』)の復刻とともに、新たに管楽アンサンブル曲やピアノ曲が録音・CD化されている。

彼女は戦前、東京交響楽団によって自作の管弦楽作品を発表している。今回の番組では、吉田隆子が独自のオーケストラである「楽団創生」を立ち上げた理由を「女性作曲家に(作品を)発表する場はなかった」ためとしているが、これは誤りで、時代は多少前後するが、戦前、女性の作曲家の作品が取り上げられる機会が閉ざされていたわけではない。あたかも女性のつくった曲は性差別が原因で演奏できなかったというような、誤解を生じさせる表現は慎むべきであろう。


金井喜久子ピアノ曲全集(キングインターナショナル)

Kanaikikukocd


他にも、山田耕筰と同門の松島彝(まつしま・つね、1890~1985)や日本人女性として初の国際コンクール入賞者である外山道子(とやま・みちこ、1913~2006)がいるし、吉田隆子の逝去と前後して、当時、東京藝術大学で学んでいた原嘉壽子(はら・かずこ、1935~)が頭角を現してくる。彼女は創作オペラにおける第一人者で、その精力的な作曲活動は広く知られている。

そして現在では、木下牧子(きのした・まきこ、1956~)、田中カレン(たなか・かれん、1961~)、藤家溪子(ふじいえ・けいこ、1963~)をはじめ、きら星のごとく優れた女性作曲家たちが創作活動を繰り広げている。(ジャズやポップスの世界における、女性の活躍ぶりはご承知のとおりだ)


邦人作曲家、不遇の時代

確かに吉田隆子の活躍した時代、太平洋戦争前夜という当時の社会的状況において活動を続けるには、多くの困難が伴ったであろうことは想像に難くない。だが、何もそれは芸術家に限ったことではない。皆それぞれが時代に翻弄されながら、必死に生きていたのだ。

日本の作曲界においても、戦前戦後期の作曲家や作品に陽の目が当たるようになったのは、ようやくここ最近、20年程度のことではないだろうか。

それまで、日本のクラシック音楽の作曲家で広く知られていた人物といえば、せいぜい山田耕筰くらい。現在、盛んに取り上げられている伊福部昭でさえ、現代音楽全盛当時の作曲界において無視され続け、1980年代前後のリバイバルを待たなければならなかった。貴志康一や大澤壽人、須賀田磯太郎なども戦争期の混乱の中で忘れ去られていた。ことさらに女性作曲家だけが不遇を託(かこ)っていたわけではない。女性だから「意図的に無視されていた」「闇に葬り去られてしまった」といったような一面的なレッテル貼りは、物事の本質を見失うだけだ。

19世紀のヨーロッパにおいても、メンデルスゾーンの姉ファニー・ヘンゼルやアルマ・マーラーなどのように、女性が作曲活動を続けることへの風当たりが強かったのは事実だろう。しかし、残された曲の評価とそれとは別次元の話だ。男性の曲だからもてはやされ、女性だからダメだったなど、まったくもって何をかいわんやである。純粋に曲として聴衆の感情に訴える魅力があるかどうかが重要で、性別は関係ない。作曲という世界は、そんな甘いものでないことくらい素人だって理解できる。


吉田隆子の願い

番組制作者の意図や、「差別」「闘い」といった不穏当な言葉から連想する悲壮で勇ましいイメージとは異なり、今回の番組から受ける吉田隆子の印象は、さほど悲劇的な色合いが感じられない。むしろ、ある種のすがすがしささえ感じられるほどだ。それは、番組に登場する関係者の話しぶりからも伺える。

女優の奈良岡朋子をはじめ、彼女を知る関係者の証言の数々からは、過激な女性闘士というイメージではなく、むしろその反対、和服を着こなし、夫を立て静かに支える、凛とした佇(たたず)まいの日本女性の姿が浮かび上がってくることは新鮮な驚きだった。

裕福な家庭に生まれ、音楽を学び、自由を謳歌し、志を同じくする多くの仲間とともに人形劇団の立ち上げに関わったり、自ら「楽団創生」を創設し作品を指揮したり、彼女のよき理解者であり夫となる久保榮との出会い、そして演劇の共同制作など。波乱万丈の短い生涯ではあったが、音楽家として、そして何より一人の人間として、恵まれた人生だったのではないか。


Yoshidatakako1


吉田隆子にピアノを学んだという音楽評論家の小宮多美江は、番組の中で、「(彼女の願いは)日本人が本当に感動できる音楽をつくりたかった。それに尽きると思う」と語っているが、まさにそのとおりだと思う。

日本人作曲家の先駆者の一人として、激動の時代の中で自らの役割を自覚し、当時の音楽界の現状を憂いつつ、ひたすら努力を重ねた音楽家。今回の取り上げ方にはいくつかの疑問点・問題点はあるが、優れた先人の功績に光を当て、再評価をうながすことはとても意義のあることだと思うし、この番組を通して、吉田隆子という作曲家について詳しく知ることができたのは、大きな収穫であった。

番組の最後に、吉田隆子の言葉が語られた。

日本の音楽は、世界的に見ても立ち遅れている。(中略)
今こそ世界の音楽史から、この立ち遅れを取り戻さなければならない。 

戦後、齋藤秀雄、井口基成、吉田秀和らによる「子どものための音楽教室」をはじめ、才能と志のある人たちによって音楽教育が飛躍的に進み、多くの優れた音楽家を輩出し続けた結果、今や日本は世界に冠たるクラシック音楽大国に成長した。もちろん課題もあるが、吉田隆子をはじめ戦中戦後の音楽家の先達が抱いた切なる願いは叶えられ、大きく花開いたといえるのではないだろうか。


【参考文献】
『日本の作曲20世紀』(音楽之友社)


※敬称は省略させていただきました。ご理解のほど、よろしくお願いします。

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コメント

はじめまして。友人からの誘いで吉田隆子に興味を持ち、NHKの番組を見たり、番組内にも登場した辻浩美さんの講演に伺い、音(最近開かれたコンサートでのバイオリンソナタや、劇中歌、最後の作品、劇中歌である讃美歌)を聴きました。斬新で魅力的な音楽だと感じました。
ネットで調べていましたら、きんたかさんのブログをみつけました。その中に挙げられています「昭和のバイオリンソナタ」のCDジャケットにあります箕作秋吉は、私の祖父(父の父)ですので、顔写真(私の好きな祖父の表情です)をみつけて、嬉しく、思わずお便りしました。CDジャケットにある尾崎宗吉さんについては、一昨年、無言館(窪島誠一郎さんが作られた、戦没画学生の絵を展示する信州の美術館)で、宗吉さんの曲を演奏する会が開かれ、伺いました。作品はとてもすばらしく、20代で惜しくも戦死されて残念でなりません。話題がそれて恐縮です。栃内まゆみ

栃内様 コメントありがとうございます!このたびは拙文をお読みいただきありがとうございました。箕作秋吉は、代表作である『芭蕉紀行集』などが入った私家盤CDで興味を持った作曲家です。また、ご存知とは思いますが、適塾の逸材、箕作秋坪の孫であるということも、幕末の歴史好きの僕にとっては驚きでした。縁者の方に喜んでいただき、うれしい限りです。(実は3年ほど前に、彼に関する記事を載せようと準備していたのですが、推敲の途中で中断したままです)
尾崎宗吉も数年前に素晴らしい作品集CDが発売になりましたし、吉田隆子ともども、もっと日本作曲界の先達に光が当てられてほしいと切に願うものです。

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