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2012年1月

2012/01/15

ボストリッジ、その凄まじき歌唱

寒風が頬にしみる12日の夜、イアン・ボストリッジのリサイタルを聴くために、電気文化会館ザ・コンサートホール(名古屋市)へ出かけた。

Denkibunka

このリサイタルは、本来、昨年3月27日に開催される予定だったが、あの東日本大震災の発生により中止となり、その延期公演として行われたものである。僕は昨年、当日の会場でその事実を知って、料金の払い戻しを受けながら、何とも言いようのない複雑な気分になったことを記憶している。

イギリス出身のイアン・ボストリッジは、もともと学者を志し、オックスフォード大学で歴史を学び、博士号を習得したという変り種。テレビ局での勤務経験を経て、研究員として母校に勤務する傍ら、テノール歌手としてのキャリアをスタートさせた異色の経歴を持つ。僕にとっては、以前BS放送で観たピアニストの内田光子との『美しき水車小屋の娘』が印象に残っているし、ブリテンの歌曲集のCDにおける瑞々しい歌唱も忘がたい。もちろん実演に接するのは、今回が初めてである。

Bostridge


今回はオールシューベルトプログラムで、メインの歌曲集『白鳥の歌(D 957)』に、冒頭、ほぼ同時期の歌曲が3曲並べられている。なお、うすうす予感はしていたが、『白鳥の歌』の終曲『鳩の便り』は、配布されたプログラムから省かれていた。ヨハン・ガブリエル・ザイドルの詩によるこの曲は、他の13曲とは明らかに性格を異にしていて、リサイタルにおいては省略されることが多い。

予定された開始時間より少し遅れてステージに登場した彼は、想像していた以上に長身で、痩せていながら彫りの深い顔立ち、陰りのある目もとが、学者風の物静かな雰囲気を漂わせる。外見だけでは、とても歌手には見えない。

曲が始まると、描き出される「情景」に一気に引き込まれる。中でも、『冬の夕べ(D 938)』は、絶え間なく刻み続けられるピアノが印象的な曲で、どことなく『ロザムンデ』の間奏曲を思わせる。『星(D 939)』も、淡々と移り変わりゆく和声の美しさが印象的だった。

そして休憩を挟まずに、歌曲集『白鳥の歌』が始まった。

ご承知のとおり、このシューベルト最晩年の歌曲集は『美しき水車屋の娘』や『冬の旅』と並ぶ傑作歌曲集だが、前2作のように一貫したストーリー性を持っているわけではない。彼の死後、兄のフェルディナンドや友人らによって、遺品の中から取りまとめられて出版されたもの。しかし全編には、多くの若者が青春期に経験するであろう孤独感や、ある種の「諦念」みたいなものが、一貫して流れている気がする。それはこの歌曲集に限られたものではなく、晩年のシューベルト作品に共通するものなのかもしれないが…。

それにしても、ボストリッジの歌う姿は凄まじい。ピアノにもたれかかったり、直立不動かと思えば、ステージ前方に歩みながら歌ったりと、全身全霊で、ひたすら曲の世界に没頭している。恋の喜びや不安、悲しみ、青き気負いなどが、鋭い刃物のようなリアリティをもって聴く者に迫ってくる。かねてから定評のあるフィッシャー=ディースカウの雄弁で肉付きのよい歌唱に比べ、何と複雑、繊細であることか。

第3曲『春のあこがれ』では、ピアノの駆け巡るような三連符にのって、テンポや強弱を大きく揺らしドラマティックに歌われたかと思えば、一転、続く第4曲『セレナーデ』では、恋人への想いが淡々と歌い始められるといったコントラストの妙!しかも、それは決して「幸福な歌」ではないのだ。馬車の音のようなピアノ伴奏にのって「Adu (さらば)!」と高らかに歌われる旅立ちのフレーズが印象的な第7曲『別れ』でさえも、感情は複雑だ。

そして、最後に歌われるシューベルト最晩年の傑作中の傑作、第13曲『影法師(ドッペルゲンガー)』。
わずか21小節の中で描かれる世界は、時代を大きく超越する。それはまるで、ベルクやシェーンベルクの歌曲を聴いているような錯覚にとらわれる。シューベルトは、その若き晩年に、はるか70年以上先の未来を先取りした音楽を書いていたのだ。何という恐るべき天才!

ピアノ伴奏は、ほぼ全編にわたって白玉(付点二分音符)が貫かれ、音の動きは最小限に切り詰められている。狂気をも感じさせる暗く陰鬱な歌は、まるで「うめき声」のように聞こえる。ここでもボストリッジの、曲への「のめり込み」は尋常ではなく、不健康で神経質そうな容姿と相まって、このまま舞台の上で気を失い、倒れてしまうのではないかと思わせるほどだ。

歌い終わってしばらく続く沈黙…。ようやくボストリッジが気を取り直した頃、会場から拍手が巻き起こる。正直、僕もこれほどまでのすさまじい歌を聞いたことがなかったので、何か「ものすごい事件」を目撃してしまったかのような気分になり、しばし放心状態であった。


Bostridgecd


アンコールでは、プログラムから省略されていたこの歌曲集の終曲『鳩の便り』が歌われ、その軽やかなリズムにのって歌われる温かいメロディーに、心救われる思いであった。鳴り止まない拍手に応えて、もう1曲『月に寄す(D 193)』が歌われた後、ピアニストのグレアム・ジョンソンとともにステージに現れた彼から、最後の最後、ようやく見ることができた笑顔が、強く印象に残った。


Bostridgeleaf


わずか1時間15分ほどの短いリサイタルだったが、僕にとっては、この上なく濃密な時間を過ごすことができたし、シューベルトの歌曲の魅力(魔力)を、あらためて認識した一夜となった。

【参考映像】
youtubeには、彼の映像が数多く掲載されています。

シューベルト『挨拶を贈ろう』


シューベルト『冬の旅』から『春の夢』


※敬称は省略させていただきました。ご了承ください。

2012/01/03

愛好家の領域を超えていく人たち

元日、NHK教育テレビで中継されたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の「ニュー・イヤー・コンサート」を見た。

今回はヨハン・シュトラウスの珍しい作品やチャイコフスキーのワルツが取り上げられるなどの話題もさることながら、2006年に引き続いて2度目の登場となるマリス・ヤンソンスの指揮による演奏は、端正な造形の中に音楽の歓びを感じさせるものだった。

ただし、近年は撮影カメラのアングルに凝りすぎていて、天井高くからパンニングする、まるでジェットコースターに乗っているかような映像が多用され、通常の演奏会ではありえないシーンの連続に強い違和感を覚えた。

テレビ番組では、NHK交響楽団の主席オーボエ奏者である茂木大輔氏のほか3人のゲストが登場し、衛星中継の合間を利用して、興味深い音楽談義が展開された。中でも、「シュトラウスに詳しすぎる」とテロップで紹介された中村哲郎氏のヨハン・シュトラウスに関する造詣の深さや、「世界屈指のウィーン・フィルマニア」と紹介された藤本眞一氏による、実際の楽器を使ったウィーン・フィルの音色に関する解説は、アマチュアでありながら、プロ奏者である茂木氏をうならせるほどで、両人が語る言葉の端々からも、ウィーン・フィルを心から愛する気持ちが溢れていて、とても印象的だった。

中村氏は、日本ヨハン・シュトラウス協会の創設にも関わられ、一方の藤本氏は、ウィーン・フィルの完全ディスコグラフィーを自身のホームページでも公開しているという人物であり、地元のアマチュアオーケストラでも活躍されているとのこと。世の中には、すごいマニアがいるんだなあと感心することしきりであった。


さて、アマチュアの音楽愛好家といって僕がまず頭に思いうかべるのが世界的指揮者・作曲家アンドレ・プレヴィンの世界的コレクター、大阪府池田市在住の木下浩二氏である。

中学2年生のときにホルストの『惑星』のレコードを購入したのがきっかけで、プレヴィンに傾倒し、彼にまつわるあらゆる録音や著書、楽譜などを蒐集し続け、1988年の来日公演時に、プレヴィン本人に会って以降、コンサートに通いつめ、親交を深めた。プレヴィンは、「何でそんなことまで知っているんだ!」「僕以上に僕のことを知っている奴がいる」と驚き、やがて本人だけでなく彼のアシスタントからも見込まれ、ときどき問い合わせがあるという。

日本アンドレ・プレヴィン協会の設立や、ライナーノートを書いたりと活動は広がり、プレヴィンのディスコグラフィや作品目録の作成も依頼される。愛好家もここまで徹底すれば、もうほとんど専門家の域に達しているといっても過言ではないだろう。

Andreprevin_2


愛好家の領域を超えて活躍する人物としては、やはりギルバート・キャプラン(1942~ )の名を挙げなければならないだろう。

合衆国の経済誌の編集者であった彼は、20代のころ演奏会で聴いたマーラーの『交響曲第2番「復活」』に感動。その後、楽譜を購入し暗譜するほどに惚れ込んだ彼は、この交響曲を演奏するためだけに指揮を学びはじめ、やがて自費でプロのオーケストラを雇ってコンサートを開催する。

このレベルでもすごいことだと思うが、1987年には名門ロンドン交響楽団を指揮してCD録音を行い、CBS-SONYから世界発売される。その素晴らしい演奏は評判を呼び、マーラーの「復活」専門の指揮者として各地から招かれることになる。そして2002年には、何とウィーン・フィルを指揮した録音が、ドイツグラモフォンから発売されるに至る。

その後も、彼は「復活」の自筆譜を買い取り、2005年には専門家の協力を得て校訂楽譜を出版している。マーラー研究において、キャプラン氏の功績は極めて大きなものとなっているが、ここまでくれば、もうブラボーとしか言いようがない。生涯を「復活」にかける情熱たるやものすごい。まるで絵に描いたかのようなサクセスストーリーではないか!

いくら感動したからといって、ここまで一つのことを徹底的に追求し、目標を定めて、その実現のために邁進することが、果たして僕にできるのだろうか…。

ひたすら夢に向かって努力していく行動力、根気。おそらくキャプラン氏は、並外れた努力、そして根性(もちろん運も)の持ち主なのだろう。夢を実現する鍵は、アマチュアとかプロとかいう次元のものではないと思い知らされる出来事である。

「聞くだけならアヒルでもできる※」と言ったのは、かのストラヴィンスキーだが、自分も音楽を愛するものの一人として、ただ受身的に音楽を鑑賞するだけではなく、何か夢や目標を持ち、その実現のために日々努力を続けていきたいものだ。

2012年、新しい一年の始まりに当たって、そんなことを考えた。


マーラー:交響曲第2番「復活」
ギルバート・キャプラン指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(グラモフォン)


Mahlercd2


※注 正確には、To listen is an effort, and just to hear is no merit. A duck hears also.    
    (鑑賞するには努力がいる。ただ聞くだけなら意味がない。アヒルでも聞こえるのだから)

【参考文献】
『レコード芸術』<2001年1月号、2月号>(音楽之友社刊)

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