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2011/09/22

やはり”すごすぎた” 宇野功芳

9月19日、「宇野功芳傘寿記念 日本大学OB管弦楽団特別演奏会」を聴くため、上野学園石橋メモリアルホール(東京都台東区)に出かけた。


Ishibashi


今日の指揮者である宇野功芳(うの・こうほう、1930~   )は、「~といえよう」などの独特の語り口で知られるクラシック音楽の名物評論家で、一部の音楽愛好家から絶大な支持を得ている。

『レコード芸術』や『音楽現代』などの音楽雑誌で、「これぞベスト・ワン」「これだけ聴けばあとは必要ない」などという彼の言葉に乗せられて、シューリヒトとかクナッパーツブッシュ、メンゲルベルクなどのディスクを購入した経験のある方も少なくないのではないか。

また、彼は場合によって、読者に対して苦言を呈することもある。

僕にいわせれば、たった一言で終わりである。「メータのブルックナーなど聴きに行く方がわるい」。知らなかった、とは言ってほしくない。ブルックナーを愛する者は、そのくらいは知らなくてはだめだ。 『クラシックの名曲・名盤』(講談社現代新書)より

ここまで書かれたら、あっぱれとしか言いようがない。僕は、こうした主観的で独善的な姿勢に、時に反発しながらも長年楽しませてもらってきた。音楽評論という分野で「功芳節」とも呼べる独自の世界を築いた功績は誰も真似できないものであり、彼ほどユニークな音楽評論家は、今後も現れないのではないかと思うほどだ。

国立音楽大学で声楽を学び、音楽評論のかたわら合唱指揮者としても活動していた彼は、1980年代に入り、日本大学管弦楽団を皮切りに、新星日響などを指揮し、2005年には何と大阪フィルの演奏会(※)に登場。聴衆の入りもよく、大いに盛り上がったといわれる。
※この演奏会の「宇野功芳の”すごすぎる”世界」というコピーが秀逸。他に「宇野功芳の”第九”これでもか !?」というのもあった。


Unocd


翌2006年と2007年には東京フィルを振るなど、指揮者としてはアマチュアだったはずの彼が、なぜプロのオーケストラを指揮して演奏会を開催するまでに至ったのか。それは、おそらく次のような経緯ではなかろうか。


<第1段階>日ごろの、歯に衣着せない批評や曲に対する独自の解釈論が注目される。
             ↓
<第2段階>「彼が指揮すれば、きっとすごい名演が聞けるに違いない」という期待(妄想、誤解)が読者の間に広まる。
             ↓
<第3段階>熱心な読者の中にオーケストラの関係者がいて、声がかかる。


オーケストラを振る機会が、優に10回を超えるまでになったのは、彼の根強いマニア(支持者だけでなく、アンチも含め)が一定割合存在することや、良し悪しは別として、その演奏が期待を裏切らないものだからであろう。ちなみに、CDも相当数発売されている。

僕はかつて、彼の指揮するベートーヴェンの『英雄交響曲』のCDを帯のコピーにつられて購入し、あまりに特異な演奏に衝撃を受けた記憶がある。「言うは易く、行うは難し」という厳しい現実を目の当たりにして、創造行為と評論活動の本質的な違いについて考えさせられたものだ。

Unocd2

彼の演奏解釈は、批評の時とスタンスが似ていて、思い入れが強い部分とそれ以外の落差が大きい。前者は、極端に音楽の造形がデフォルメされる反面、後者では、聞き手が拍子抜けするほど、すいすいと弾き飛ばされてゆく印象だ。フルトヴェングラーやワルター、朝比奈隆などの影響(オマージュ)も随所に聞かれる。

主な特徴としては、次のとおり。

①音楽の流れに、あえて棹(さお)差すかのような予期できないテンポの変化
②過剰なまでに強調される金管やティンパニ
③強弱記号にこだわらず、明瞭に弾かれるピチカートやトレモロ
④提示部等のリピート(反復)指示には従わない。
 (さらに一歩進んで、指示さえ無い箇所の省略)

さて、今回の演奏会であるが、話題性も相まって会場は盛況で、8割以上が埋まり人気の高さを物語っていた。なお、日本大学OB管弦楽団とは、今回の演奏会のために特別に編成されたオーケストラだという。

チューニングが終わり、いよいよ指揮者の登場。ゆっくりとした足取りでステージに登場する姿は、まさに巨匠の風格である。

前半のシューベルトの『未完成交響曲』では、ところどころに「彼らしさ」が顔を出すが、特筆すべきほどの特徴は感じられない。強いて言えば、第2楽章アンダンテの解釈にこだわりがあるようで、例えば114小節目からの第1ヴァイオリンのメロディーをピアノ(弱く)という指示に反して、思い入れたっぷりに強奏させていたのが記憶に残った。


Ishibashi2


休憩を挟み、いよいよメインプログラムであるベートーヴェンの『交響曲第7番』。宇野氏にとってこの曲は、ベートーヴェンの全交響曲の中では評価が低い部類に入るようだが、いくつもこだわりがあるらしい(特に第1楽章)。「人生最後の第7、もうこわいものはない」と言い切る彼の、どのような解釈が聴けるのか期待が高まる。

第1楽章の冒頭、ため込んだ気持ちを搾(しぼ)り出すかのように和音が刻まれる。続く10小節目からの上昇動機は、マタチッチばりの最速テンポを採るが、アンサンブルが指揮者の棒に付いてゆけずズレまくる。それが一種独特の緊張感を生み、結構スリリングである。

ヴィヴァーチェの主部に入ると、金管とティンパニの耳をつんざくような響きで混濁気味となる。音は盛大だが、迫力がそれほど感じられないのは不思議なほどだ。2小節の全休符で一息ついた後、展開部に入り、弦がピアニッシモでリズムを刻みながら徐々に力を増してゆくが、何か様子がおかしい…と思った瞬間、音楽がぐらりと大きく動いた。たちまちホルンは雄たけびを上げ、悲鳴のようなトランペットがそれに続く。

いよいよ「功芳ワールド」が全開! 「優等生的な演奏なんて聴きたくない。ベートーヴェンはこうでなくてはだめだ」とでも言わんばかり。ホルンだけが倍管(4本)になっているのは、このためだったのかと妙に納得しながら、正直、僕は笑いをこらえるのに必死だった。周囲もあっ気にとられているのがわかる。しかしオケのメンバーは真剣そのもので、指揮者に必死に食い付いていく。

奇想天外な展開部が終わり、再現部の300小節目、オーボエソロに続いて曲は短調に転じ、第1主題のフレーズが切々と奏でられてゆくところは、この指揮者の思い入れも強い箇所のはずだが、中途半端な結果に終わり、指揮者も少し困惑していた。しかし、コーダは圧倒的な盛り上がりをみせ、怒涛のような第1楽章が終わった。

第1楽章を終えたところで、すでにオケのメンバーはかなり消耗している様子。続く楽章では、音色が荒れアンサンブルも乱れ気味になる。スケルツォは予告どおりトリオを反復せず3部形式に改変。1回のトリオに全力を注いだといった感じ。これはこれで面白いと思った。

アタッカで第4楽章に突入し、快速のテンポで飛ばす姿はとても80歳とは思えない若々しさだ。オーケストラも最後の力を振り絞り、渾身の演奏を繰り広げる。コーダでは、さらにぐいぐいと速度を増し、最後はほとんど崩壊寸前のような(すでに崩壊していたか?)爆走。これぞまさに命を賭けたアッチェレランド! 最後の和音とともに一斉に巻き起こるブラボーの嵐、熱狂的な拍手。僕自身、不覚にも感動してしまった。ふと見ると最前列のコントラバスのおじさんが、楽器に寄りかかってぐったり…。皆さん、本当にお疲れさまでした。

余韻のさめやらない中、心の整理をしながらホールを出たところ、「火事です!1階で火災が発生しました」と警報のアナウンス。確かに火事のように熱い演奏会だったのは間違いない。「最後の第7」だなんて、戯(たわむ)れとしか思えない。さて、次は何の曲で僕たちを楽しませてくれるだろうか。大いに期待したいと思う。


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なお、最後に苦言を1点。

宇野氏自らが曲の解説を書いている当日配布のリーフレットに、ベートーヴェンに2人(男女)の子供がいたとの記述があるが、これはあくまで諸説のひとつに過ぎず、事実とは認められていない。「~という説を僕は信じている」とでもすれば別だが、まるで既成事実であるかのような(意図的な)言葉足らずの説明は、読む人に誤解を与えることになり、大いに問題ありだ。

ストーリーとしては面白いかもしれないが、「事実」と「評論」を混同すべきではない。


※敬称は、部分的に省略させていただきました。ご了承ください。


【参考CD】

当日の演奏会のCDが、キング・インターナショナルから発売されています。
※購入は、くれぐれも自己責任でお願いします。

宇野功芳 傘寿記念日本大学OB管弦楽団 特別演奏会ライヴ


Unokohocd1_2


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コメント

目に見えるようです。音も聴こえてくるかのようです。火事落ち?も味があってよかったです。

お読みいただき、ありがとうございます。
「迷」演奏も、ここまで徹底すれば凄いものです。
最近、この日の演奏がCD化されたので、もし興味がありましたら、お聴きになってくださいね。

Ogan Durjan、すでに故人ですが一聴をお勧めします。綺麗ごとで済まない魂の叫びがあります。

http://www.youtube.com/watch?v=8mkGFPBxJUg&feature=share&list=LLC1LY8OsI8TLfI-qOY_VnJQ
http://www.youtube.com/watch?v=A_12VIS9Lhw&feature=share&list=LLC1LY8OsI8TLfI-qOY_VnJQ

kristenpartさん、情報ありがとうございました。
Ogan Durjan、さっそく聴かせていただきました。音は残念ながら、あまり良くはありませんが、名演であることは伝わります。特にブルックナーの演奏には強い感銘を受けました。(youtubeの音源はレコードでしょうか…)

先日ホロビッツのチャイコフスキーのコンチェルトを聴きましてね、似てる!ものすごいテンポで弾きまくるとか、オケとピアノが全然合わないとか、楽譜にない音まで出てくるとか、いやはやもう「めちゃくちゃ」でした。ただ、この盤こそはホロビッツの伝説のもっとも主要な部分をなしてましてね、宇野氏もいってます「人間技を超えている」って。

ホロビッツやトスカニーニに許されて、天下のコーホーに許されないはずはありません。音楽なんて感動できたらそれでいい。原点主義だろうと加筆主義だろうと、上手だろうと下手であろうと。逆に今は、完全に楽譜通りの演奏も可能です。シンセサイザーのサンプル音源を使って統計的にもっとも標準的な表情を付けるようにプログラム組めばいいんですから。それで音楽になって感動できるかというと甚だ疑問ですがね。

したがって私としては「アリ」だと思いますよ。私は行きませんが。

gkrsnamaさん、コメントありがとうございます。

昔は、いわゆる「大時代的」な演奏があり、楽しめました。恣意的な表現なのか個性なのかはわかりませんけど…。宇野功芳氏は演奏はもっと個性的であるべきだと考え、先人たちの解釈を意識的に取り入れているのだと思います。

宇野氏の演奏会は文句なしに楽しいですし、この「ベト7」&「未完成」もCDが発売されたので即購入して楽しんでいます。次回は何をかましてくれるか心待ちにしているところです。

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