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2011年5月

2011/05/01

『シューマンの指』に寄せて

ここ1ヵ月ほどの間に、クラシック音楽を題材にしたミステリー小説を2冊読んだ。

ひとつは中山七里の『さよならドビュッシー』、あとひとつは奥泉光の『シューマンの指』で、このような作品を立て続けに読むことなど、僕にとってはおそらく始めての経験だ。

どちらの小説も、作中に数多くの名曲が登場することや、ラストに読者の頭を軽く混乱させる「大どんでん返し」が仕組まれていることなど共通点も多い。第8回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作でもある前者は、「のだめカンタービレ」を彷彿とさせるようなスリリングな演奏場面が幾度も登場し、陽性のエンターテインメント性に富んでいるため、一気に読み終えることができる一方で、題名となっているドビュッシーとの関連性、ストーリーの必然性に関する掘り下げが足りないように感じたのも事実である。

そして、最近読み終えたばかりの『シューマンの指』である。 
昨年のシューマン生誕200年に合わせるかのように発表されたこのミステリー小説の内容は、ひとことで言って、きわめてマニアック。『幻想曲』『フモレスケ』『ダヴィッド同盟舞曲集』など、シューマンの名曲が次々と登場する。その魅力と作者の共感が、まるで行間から、あふれ出るかのような言葉で綴られてゆくのだから、シューマン好きには、たまらないだろう。作者は、もともとシューマンの大ファンだというが、それにしても小説家とは、かくも膨大な情報と思索の上で、筆を執っていくのかと改めて感心した次第である。

だが、その反面、シューマンにそれほど興味がない人、ましてやクラシック音楽に疎い人がこれを読むのは、かなりの忍耐と苦痛を伴うのではないかとも思った。特に物語の前半、殺人事件が起こるまでは、ひたすらシューマンの音楽への賛辞が綴られるが、ある程度の共感とリアリティを持って物語を追いかけていくのは一苦労で、僕自身にとってもなかなか大変なことだった。

物語の中盤で発生する女子生徒の殺人事件が未解決のまま、後半に蓼科の別荘で起こる殺人未遂事件によって、小説全体のクライマックスを迎えることにとなるが、何か釈然としない・・・。薄く濁ったままのような感覚が、終始読者の側に残り続け、衝撃のラストを迎えても、それはさほど変わることはない。前述した『さよならドビュッシー』のようなカタルシスを得られることもない。それはまるで、シューマンの音楽自体が内包する特徴であるかのように。

結局あれは何だったのか。物語中、悲劇の天才ピアニストとして登場する「永嶺修人」は? 殺人事件の真犯人は? そもそも、この物語の「主人公」であったはずの里橋優の人間関係は? などなど・・・、読了後まもない今、僕の頭も少し混乱していて、まるで既定ルートを外れたカーナビが、再度、懸命に位置検索を続けているかのような感覚だ。いずれ近いうちに本を読み返し、そうした数々の疑問を解決してみたいと考えてはいるが、果たして・・・。

Schumannbook

最後に一言。
今回、この『シューマンの指』を読んで、物語で登場するピアノ作品を一度じっくり聴き込んでみたいと思うようになった。これまでは、それほど深く興味を持つこともなく、ただ聞き飛ばしていた感のある『幻想曲』や『ピアノソナタ第3番』などの作品が、どのように僕の耳に聞こえてくるか、これもまた楽しみなことである。


【追記】
youtubeの映像は、シューマンの『幻想曲』です。


【参考文献】
中山七里『さよならドビュッシー』(宝島社)
奥泉光『シューマンの指』(講談社)

※敬称は省略させていただきました。


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