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2007/02/25

尾高尚忠 フルート協奏曲

尾高尚忠(おたか・ひさただ 1911~1951)は、太平洋戦争前後の日本の西洋音楽の創成期、主に新交響楽団(現在のNHK交響楽団)の指揮者として活躍した音楽家である。

東京の実業家の家に生まれた彼は、兄の影響で幼少期からクラシック音楽に親しみ、やがて音楽家になることを決意。1931年にウィーンに留学し、音楽アカデミーで作曲を学んで帰国。1934年には再び同校のマスタークラスで研鑽を重ねた。作曲科を終了すると指揮科でフェリックス・ワインガルトナーやヨゼフ・クリップスといった名指揮者に師事、優秀な成績より「カペルマイスター(楽長)」の称号を与えられた。

その後、『日本組曲』や交響詩『芦屋乙女』などの自作を指揮して、ヨーロッパ各地のオーケストラで活躍し、1939年には、ウィーン交響楽団やベルリン・フィルハーモニー交響楽団の指揮台にも上がっている。

1940年に帰国して、新交響楽団や東京交響楽団(現在の東京フィルハーモニー交響楽団)を指揮する傍ら、新作を次々と発表するなど活躍をしたが、1951年に39歳の若さで急逝した。

彼の活躍は、ちょうど同世代であった貴志康一(1909~1937)や大澤壽人(1907~1953)の経歴と重なる部分がきわめて多い。作風に関しても、日本独自の民族的語法を西洋音楽の中で、どう昇華させるかに重きを置いていたように思われる。

作品には、第2楽章までで未完となった畢生の大作『交響曲第1番』や『チェロ協奏曲』、室内楽曲や歌曲などが残されているが、代表作といえるのは、盟友であったフルート奏者(後に指揮者としても活躍)の森正(1921~1987)の依頼により作曲された『フルート協奏曲(作品30b)』であろう。

この曲は最初、1947年に独奏フルートと2つのホルン、ハープと弦楽合奏のための『フルート小協奏曲』として作曲され、翌年に初演されたが、その後、2管編成のオーケストラへ編曲を試み、1950年暮れから作業に取りかかるも、終楽章の数ページを残したまま他界。弟子の林光(1931~2012)によって補筆完成された。

伝統的な3楽章形式をとり、明確な調性(イ長調、ニ短調、イ長調)を持ち、主題や形式も明確で親しみやすい曲調となっている。特に第2楽章レントは、彼の作品の特徴である日本的な情緒が横溢(おういつ)していて美しい。日本を代表するフルート協奏曲として、広く親しまれている。

演奏時間はおよそ15分

【お薦め盤】
ジャン=ピエール・ランパル(Fl)、森正指揮、読売日本交響楽団(コロムビア)

Otakacd


【追記】
youtubeにもいくつか映像が掲載されています。
※演奏は「小協奏曲」版(作品30a)です。

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